2017年5月17日水曜日

さまよえるイスマエル

『イスマエルの幽霊たち』
"Les Fantômes d'Ismaël"

2017年フランス映画
監督:アルノー・デプレッシャン
主演:マチュー・アマルリック、マリオン・コティヤール、シャルロット・ゲンズブール、ルイ・ガレル
フランス公開:2017年5月17日
第70回カンヌ映画祭オープニング上映作品 

 I ain't afraid of no ghosts !
 ("Ghostbusters")
   ルノー・デプレッシャンの本作の主人公イスマエルは映画作家です。おそらく彼が映画監督を主人公にした最初の作品です。当然デプレッシャンのオルター・エゴと思っていいでしょう。演じるのは『そして僕は恋をする(Comment je me suis disputé  - ma vie sexsuelle)』(1996年)以来デプレッシャンの分身男優となっているマチュー・アアルリックです。 アマルリック自身映画監督として6本の作品を発表していて、この2017年カンヌ映画祭には、このデプレッシャン作品の主演俳優としてだけでなく、6本目の監督映画『バルバラ』(歌手バルバラのバイオピック)の監督としても参加しています。監督としての苦悩も身をもって知っている男。
 思えば映画というものは、ヒッチコックの例を出すまでもなく、監督の分身や幽霊をたくさん作ってしまう傾向があります。フィクションとは幽霊づくりの仕事であって、映画の時間が過ぎれば、その人物はこの世から消え去るのです。映画人はその人物たちを創っては殺しという作業を一生続けるわけですが、生の終わりにはその人物たちの亡霊に呪われるのではないでしょうか。
 映画作家イスマエル(演マチュー・アマルリック)には(実在するのか架空なのかわからない)弟のイヴァン(演ルイ・ガレル)がいて、イスマエルはその人物を使って国際スパイ映画を制作するため、日夜必死で脚本を仕上げようとしている。21年前、敬愛する映画作家であり師でもあるアンリ(演ラズロ・ザボ!ハンガリー出身映画作家)の娘カルロッタ(演マリオン・コティヤール)と結婚するが、カルロッタは結婚後まもなく忽然と姿を消してしまう。アンリとイスマエルの八方手を尽くしての捜索にも関わらず、手がかりはなく、年月は経ち、蒸発者は戸籍上死者同等の扱いになって除籍になる。その苦しみを共に味わったアンリとイスマエルはいつしか父と息子同然の関係となるが、20年経っても二人はカルロッタの「死」を受け入れることができない。そしてアンリとイスマエルは同じように悪夢につきまとわれる病癖がある。アンリの悪夢のもとはほとんどカルロッタであるが、イスマエルのそれはカルロッタだけでなく映画人的極度のストレスがある。悪夢に苛まされないためには眠らないことが一番。イスマエルはアルコールとニコチンと様々な薬物で覚醒・半覚醒を保っている。しかし一旦眠るやいなや悪夢は容赦なく襲って来る。
 2年前からイスマエルは天文学者シルヴィア(演シャルロット・ゲンズブール)と(同居することなく)交際中。海辺の別荘でシルヴィアは浜辺ヴァカンス、イスマエルは籠ってシナリオ執筆という穏やかな時間と空間の中に、20年前に蒸発したはずのカルロッタが闖入してくる。パニック。幽霊ではないのか?狂言ではないのか? 行くあても泊まるところもないカルロッタを別荘に迎え入れ、3人の奇妙な共同生活が始まる。
 なぜ蒸発したのか、どこにいたのか。父親に溺愛されたいたがゆえに不幸だった少女は、抗しがたい「沖からの呼び声」に従って無一物で旅に出て、放浪に身をまかせる。その果てにインドに辿り着き、ひとりの男と出会って家庭に入り幸せに暮らしていた。しかし3週間前に男が死に、その家を追い出されフランスに帰ってきたが、どこも行くところがなくイスマエルのもとに来た、と信じがたいストーリーを淡々と言う。そしてイスマエルという「夫」を取り戻したい、と。シンプルさと天真爛漫さと現実世界とのズレ、マリオン・コティヤールという猫目女優の不思議なパワーが大きくものを言ってます。
 なぜ今、ここなのか。20年間すべてをぶち壊しにした挙げ句に、今ここに出てくればもう一度イスマエルの「現在」もぶち壊しにしてしまう。そういう怒りを彼は元妻/不在の妻/死んだはずの妻/幽霊にぶつけますが、カルロッタは幽霊ではないのです。
 二人で海水浴をし(遊ぶ二頭のイルカのようなシーンです)、「私たちきっと似た者同士よね」とシルヴィアに語りかけるカルロッタ。この猫目の魅力にシルヴィアも一旦はカルロッタと打ち解けた関係になりかけるのですが、その魅力が強ければ強いほど、シルヴィアは「負ける」と感じ、それは黒々とした嫉妬となっていきます。かくして嫉妬は爆発し、シルヴィアはイスマエルとカルロッタを残して別荘から去って行く...。
 映画は飛んで、弟イヴァンを主人公とした国際スパイ映画の制作現場へ。フランス外務省に所属する諜報員という立場ながら何も知らずに国際政治舞台の裏側に送られ、タジキスタンの監獄に投獄されてイスラムテロリスト首領と談笑し、ポーランドの美術館で接触したロシアスパイを不本意に爆死させ、といった荒唐無稽なシナリオのまま撮影は続くのですが、監督イスマエルはシルヴィアとの破局のショックのため、撮影現場から逃げ出し、北フランス、ルーベ(註:ここはアルノー・デプレッシャンの出身地)の古い館に籠ってしまいます。この辺りから映画は混沌と狂気が支配的になり、アルコールと薬物と自己破壊衝動は血走る目のマチュー・アマルリックならではのトリップ加減です。キューブリック流のマッド・シネアストと申しましょうか。
 その狂気にも関わらず、映画をなんとかして完成させようと、映画のエグゼキュティヴ・プロデューサー(演イポリット・ジラルド。怪演!)がイスマエルの居場所を突き止め、シナリオの続きを書いて撮影現場に戻るように説得しようとします。イスマエルは俺がいなくても助手に撮影を任せればいい、と、その狂気のシナリオの続きをプロデューサーに開陳しますが、いよいよ混沌と不条理と荒唐無稽さは頂点に達し、思い余ってイスマエルはプロデューサーに発砲して負傷させてしまう...。
 絶対収拾のつきっこない映画になってしまった、と思った頃に、アルノー・デプレッシャンは唐突なハッピーエンドを持ってくるんです。まずカルロッタは父親アンリの前に姿を表し、その(幽霊)ショックでアンリは心臓発作で救急病院に担ぎ込まれ、 ほぼ死の床で父と娘は和解するのです。そしてシルヴィアとイスマエルは.... 詳しくは書きませんが、ハッピーエンドなのです。山ほど積まれた続くストーリーの数々を全部蹴散らして、「今のところはこんな感じで」という終わり方。デストロイな映画だと思いますよ。これを賞賛する人たちもいるんでしょうが。

カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)『イスマエルの幽霊たち』予告編


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