2017年3月8日水曜日

ラ・ノッテ、ラ・ノッテ

ラウディオ・バリオーニ「ノッテ・ディ・ノッテ、ノッテ・ディ・ノッテ」(1985年)
Claudio Baglioni "Notte di note, note di notte"(1985)

 題の出典はエチエンヌ・ダオ「ローマの週末 Weekend à Rome」(1984年)です。歌詞中に "variété mélo à la radio"(メロな流行歌がラジオに)と出てきますが、84年当時のローマのラジオでメロなヴァリエテと言えばバリオーニだったでしょう。
 伊ウィキペディアの数字によると、クラウディオ・バリオーニの最大のヒットアルバムで400万枚を売った1985年の『ラ・ヴィータ・エ・アデッソ (La Vita è adesso。人生は今、と直訳せず『いざ生きめやも』 と訳したりして...)の最終トラック10曲め(当時はB面5曲め)に収められた曲です。アルバムはヴァージン・レコーズの創始者リチャード・ブランソンが1971年に英国オクスフォード州の城館を改造して作った伝説のザ・マナー・スタジオで録音されていて、ドラムスにスチュワート・エリオット(アラン・パースンズ・プロジェクト)、ギターにフィリ・パーマー、珍しいところでは後年映画音楽の巨匠となるハンス・ジマーがキーボードで参加しています。
 "Notte di note, note di notte"は notte (ノッテ=夜)とnote(ノッテ=ノート、音符、メロディー)の同音異義語を並べた「調べの夜、夜の調べ」(あんまり上手い訳ではなくてゴメンなさい)といった意味です。どうなんでしょうね。さっき伊語→仏語(google translation)経由で訳してみましたけど、星降る夜が音符降る夜みたいになって、人類の希望と共に安らかに恋人と眠れるというポジティヴな歌詞ですけど、バリオーニは歌詞的な面白みは少ないと思いますよ。歌詞の中で、「この夜のこの瞬間にカリフォルニアと日本の間で人類の未来が創造されている」というパッセージがありますが、1985年当時の感覚ではシリコンヴァレーと日本が未来の象徴だったわけです。今は昔。
 歌詞なんてどうでもよく、この歌の最大の聞かせどころは、Bメロからサビへのつなぎに挿入される5音階上昇息継ぎなしの超絶フェルマータ(延音)で、どれほどの小節を全音スラーでつないでいるか気が遠くなるほどのブレスレスのヴォカリーズです。どんな構造の肺を持っているのでしょう。ライヴ録音ではここに婦女子のみなさんのキャーキャー声やため息が集中しているのがよくわかります。ミラクル長息。バリオーニはこの一点でも歴史に残る大ヴォーカリストでありましょう。
調べの夜 夜の調べ
月が犬を惑わせる
通りに隠れている放浪者たちはすべてを知っている
僕たちは歩く
地球が回る音とリズムに従って
パン屋はもう明朝のパンを焼いている
バケツの水はベランダの植物たちを目覚めさせる
朝の太陽は
僕の顔にかかった蜘蛛の巣の糸を
焼き払う
僕を追ってくるひと吹きの風が
ズボンの裾を鳴らしていく
天から降ってきたたくさんの音符を
何本の指で受け止めたことだろう
鍵をかけられた扉の向こう側に
一日の始まりは近い
小さな痛みよ、おやすみ
遊び人たちみんな、おやすみ
墨色の雲の中に、おやすみ
僕たちの息子よ、おやすみ
ここ天国の一角では
すべての匂いが思い出
それははっきりとよみがえる
そして悪い日々の渇きを取り去ってくれ
疲れた心に
平穏の夜をもたらす
調べの夜、夜の調べ
太鼓の皮のように張りつめた夜
ヘッドライトは僕のことを
目で理解しようとしている
落書きで描かれたような世界で
落ち葉を踏んで通り過ぎる人たちのために
今この瞬間に
カリフォルニアと日本の間で
未来を発明しようとしている人たちがいる
今夜 星たちは自由で
夜明けは古い町並みを見間違え
つぎはぎだらけの若い空は
新しい潮風を呼吸する
波打つ砂漠の只中で
妙にかすれた声があなたに聞く
あなたは今まで一体何を浪費してきたのか、と
数々の領収書に おやすみ
風の中に飛んでいって おやすみ
金色の沈黙の中で おやすみ
僕のお宝、おやすみ
ここでは誰もそんなやり方で
きみたちの夢をだれかに盗ませたりしない
希望の光と
新しい歌が
空から降りてくる時
今夜ここに
その音符たちが降りて来て
開かれた手のひらに
人生を見つめてくれる
僕はずっと
いつまでもそれを信じている
僕は愛のまなざしに従って
恋人の傍らで
眠りに落ちて行く

(↓)1985年アルバム『ラ・ヴィタ・エ・アデッソ』 のヴァージョン。 アルバム最終曲なのでアウトロがちと長い。


(↓)1985年ライヴ。アルバム『ラ・ヴィータ・エ・アデッソ』発表年のライヴ。この時バリオーニ34歳。映像と音には細工がないでしょう。つまりあの超延音パートを細工なしで歌ってると思う。


(↓)1995年ライヴ。かなりスローになって、超絶フェルマータが際立つ。すっかりライヴの目玉ナンバーの一つ(大体はショーの最初に歌われると思う)になってる。


(↓)1998年、ミラノ、サン・シロ・スタジアム(すげえ)ライヴ。あの超延音部を走りながら歌ってる。超人的。新体操のおねえさんたち...(ちょっといただけない)。ブオナ・ノッテとベッドに寝てしまう。


(↓)2006年(アコースティック)ライヴ。55歳。さすがにこの頃は婦女子の皆さんのキャーキャー声がない。やっとどんなに美しい曲なのかというのがわかる。4分40秒めからバグパイプが登場。うっとり。


(↓)201X年ライヴ。4分10秒めまでピアノ弾き語り。60歳を過ぎて、さすがに音程がちょっとフラット気味。超絶延音パートもちょっとだけ苦しそうだけどお見事。


 

 

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