2017年2月4日土曜日

アザミと呼ばれた女

Aki Shimazaki "Azami"
アキ・シマザキ『アザミ』

 ベックでフランス語による小説を発表し続けている日系女流作家アキ・シマザキの第11作目の小説で、発表は2014年。この作家に特徴的なのは小説5編連作をひとつの大きなサイクルとしている(この五部作のことを"pentalogie"パンタロジーと言います)ことですが、すでに『秘密の重み』 (1999年〜2005年)、『ヤマトの真ん中で』(2006年〜2013年)を2巻のパンタロジーを完結させていています。この『アザミ』がシマザキ第3のパンタロジーの第1作目です。その第2作目の『ホオズキ』を当ブログでは2016年6月に紹介していて、今日(2017年2月)までに3000ビューという高い関心をいただいています。そして次に出る第3作目が『スイセン』 で、ケベックでは2016年9月に出版されましたが、フランスでの出版予定は2017年3月です。
 さてこの第3のパンタロジーの時代は特定されていませんが、わりと現代に近い平成初期ではないかと察します。登場する聾唖の男の子タローの歳でわかるのですが
、『アザミ』の中では4歳、『ホオズキ』の中では7歳で、両作の間に3年のインターヴァルがあります。『ホオズキ』を紹介した時に書いたのですが、祝日「成人の日」が1月15日ではなく1月第2月曜日になっているということで、それが変わった1999年(平成11年)より後と推定できます。しかしこの『アザミ』では、作品中に一度も携帯電話が登場せず、小説の話者(ミツオ)が公衆電話から愛人宅に電話するのを習慣としているところから、日本の町に公衆電話が普通にあった時代というのは?と海外生活者にはわからないことを想像したりします。
 それからこの小説の重要なキーワードが「セックスレス」という言葉です。一体この言葉はいつ頃から日本で言われるようになったのでしょう?
 話者ミツオは(おそらく中部地方の)大都市の雑誌出版社で編集者として働く30代半ばの男です。妻のアツコとは同じ出版社で知り合い、スムーズに結婚し、 スムーズに二人の子供を授かるのですが、その後ミツオとアツコはお互いに変わらぬ愛情を持ちながら、どうもうまく行かずセックスレスになります。寝室を別々にし、帰宅時間の遅いミツオはアツコが用意してくれた夕食を温めて一人で食べるということが多くなります。
 アツコは自分の両親から土地付きの田舎の家を相続して、週末と学校休みの時はこの田舎の家で子供たちと過ごします。やがてその土地で野菜の有機栽培を始め、それを本格的に事業にしてしまう計画を立てます。その田舎家を担保に銀行から資金を借り入れ、協力者二人を雇い、小型トラックを買って、有機野菜の生産販売に乗り出します。ミツオはミツオでいつまでも社員編集者で終わらずに、いつか独立して自分の雑誌(地方の民俗歴史月刊誌)を出したいという夢があります。しかし自立する夢はアツコの方が10歩も100歩も先を行ってしまいます。子供たちも母親の方になびきがちで、都会よりも田舎がどんどん好きになっていく。ところがミツオは典型的 "citadin"(シタダン、都会派人間)で、時々行くアツコの田舎の家も長くいると退屈してしまう。
 さてセックスレスの話に戻りましょう。この小説でシマザキはそういう説明はしていませんが、アツコという頭が良く家庭のことも子育てのこともすべてうまく出来、しかも好きなことで自立も可能な女性、仕事に追われ自由な時間も少ない夫に比べずっと活き活きと生きている女性になってしまったこと、ここが性的途絶の大きな原因のように読めます。シマザキが描くこのミツオという人物は取り立てて日本型男性原理に染まった男ではないにせよ、「並みに」男です。小説的キャラクターとしては人間的魅力が大いに欠けているように私には思えます。アツコを愛しているし、一生そばにいたいと話者は吐露するのですが、パッションはありません。自分よりもひとまわりもふたまわりも人間的に大きくなっている妻を前にして性的なブロッカージュが働いてしまう。
 この性行為衝動は男性優位でなければ機能しないということなのか。目下的に「可愛い女」でなければ日本の男は「できなく」なってしまうのか。ということをシマザキは説明しません。
 で、ミツオはその満たされぬ欲求を解消するために「フウゾクテン」(fuzokutenとそのまま小説に現れます)に通い、そのことをアツコは知っています。
 ここでまたミツオの男の「リクツ」があります。風俗店やピンクサロンに通うのは妻に対する不実ではなく、「必要悪」である。どうなんだろうか、この考え方は? 21世紀的今日の日本男性はやはりこういうことがフツーに必要だと考えるのだろうか? それはともかく、ミツオのリクツでは浮気は別物であり、自分は絶対に愛人を持ったり浮気したりはしない、と思って「いた」。
 小説の冒頭は、ミツオが偶然、小学校の時の同級生ゴロウと再会することから始まります。ゴロウはこの地方でめきめき躍進している大酒造会社の二代目社長で、社交的で人の面倒見が良く、成功者としての風格もある。(このゴロウがこのパンタロジー第3作でもうすぐフランスで刊行される『スイセン』の主人公になります)。フウゾクテンに出入りするミツオと違い、ゴロウは愛人が3人もいる。それはそれ。成金のゴロウに連れて行かれてた超セレクトな高級バーで、ミツオは同じ小学校の同級生だったミツコがホステスとして働いているのを見てしまいます。ミツコは6年生の時に転校してきた美しくも暗めの少女で、ミツオが強烈に片思いを寄せていた、言わば初恋の人。このミツオとミツコとゴロウの3人が後々まで数奇な運命で交錯していく、というのがアキ・シマザキの得意技の大河ストーリーであるわけです。
 小学6年の頃、将来カメラマンになりたいと言っていたミツオは編集者になり、大学教授になりたいと言っていたゴロウは大会社の社長になり、獣医になりたいと言っていたミツコはバーホステスになった。中産階級の子は中ぐらいの職業につき、金持ちの子はやはり金持ちになり、貧乏人の子は底辺で苦労する、という図式です。この3つを交錯させるというのもシマザキの得意とするところです。
 週に一度金曜の夜に高級バーで働き、他の日は昼に喫茶店のウェイトレスとして働くミツコはシングルマザーで4歳の息子を育てています。夜道でハンドバッグをひったくられそうになったミツコを偶然にも助け、急激に接近できるようになったミツオは、少年の頃の恋慕を再燃させます。新事業に夢中で田舎の家に行く機会が多くなっているアツコの不在をいいことに、ミツオはミツコのところに通い、隣室で眠っている幼児タロウを起こさないように音をひそめて情事を重ねます。セックスレスだったミツオは狂ったように回春し、いよいよ燃え上がっていくのですが、それはミツコと両方向ではなく、ミツコはミツオのパッションがかりそめのものであることを見抜いています。
 この小説の中で聡明・賢明なのは二人の女性です。男性はどれも魅力に乏しい。おまけに日本の男性社会的背景が大きくものを言ってきます。端的な例がミツオの出版社の上部は、ゴロウの大酒造会社を広告主として獲得したいと目論んでいて、ミツオとゴロウの幼なじみ関係を利用して、なんとか話をまとめろとミツオに強要します。そんな話に友人関係を利用したくないミツオですが、広告取りの話はどうにかうまく行きかけます。しかしゴロウという見た目よりもずっと複雑で倒錯した性格の男は、「お宅の会社の編集幹部のひとりが売春常連客である、あるいは夜の女と不倫関係にある、という噂を聞いた」と、「企業イメージに泥」という観点から、この広告契約に難色を示します。すなわち、ゴロウがミツオを罠にかけたような。24年前の少年少女時の「三角関係」から始まっているような根の深い確執。そして、アツコも遂にミツオの不倫行動に気がついてしまいます...。

 題名の「アザミ」はミツコが高級バーで働く時の源氏名です。一時は娼婦にまで身を落としたミツコがどうしてこの財界人や学術人が集まる超セレクトクラブで働くようになったのか。それは子供の頃からの膨大な読書量によって、学校に行かずともすぐれた教養人になってしまい、数カ国語もこなし、大学教授クラスと対等に問答ができる会話の達人になったからなのです。(正直に言うと、この教養レベルと描かれる人物像にはややギャップがあるように思います)。美貌と教養と会話レベルの高さ、これが「アザミ」さんをバーの売れっ子にしているわけです。
 そしてそれは偶然にもミツオが少年の日に、ミツコへの想いを綴っていた日記に、純情にもその名をダイレクトに書けず、ミツオが創造した恋人の名としてつかっていたのが「アザミ」であった、という話なのです。24年後にその日記をミツオから見せられたミツコは...。
 実の両親が離婚したり、死別したり、犯罪者になったり、そういう因縁でどこか似た者同士であるミツオ、ミツコ、ゴロウ。ここからシマザキ流のロマネスクを展開させようという新パンタロジーですが、前のふたつのパンタロジー『秘密の重み』『ヤマトの真ん中で』で見せた壮大なロマン世界から比べると、ぐっと世界は狭く、親密な展開になっていると思います。これまで11作シマザキの作品とつきあってきましたが、この『アザミ』はちょっとレベルが低いです。セックスレスはどこから来るのか、日本社会の中の男たちはどうして性と向かい合わないのか、ミツコはなぜ哲学者然としていられるのか、そういうところをもっともっと掘り下げて書いて欲しかったです。
 ミツコは自分の名前が嫌いだった。そして転校生ミツコは、ゴロウに「おまえの名前の漢字は読み方によってはマンコ」とからかわれる。こういうエピソードは小説の文学レベルをガタっと下げますよ。フランス語人にもそれはわかりますよ。
 ではまた次回『スイセン』 で。

Aki SHIMAZAKI "Azami"
Actes Sud刊 2014年9月  130ページ 13,50ユーロ

カストール爺の採点:★★☆☆☆


 
 

0 件のコメント: