2015年4月21日火曜日

恋人たちの死

Babx と書いて「バビックス」と読む。1981年パリ生れ。本名ダヴィッド・ババン。母親がピアニストで音楽学者。ダヴィッドは母親からピアノを教わるだけでなく、母親を通してその共演者であったパキスタンのスーフィズム音楽カッワーリーの大歌手ヌスラット・ファテ・アリ・カーン(1948-1997)との出会いを果たしている。その上、祖父が楽団指揮者、義理の父が映画舞台装飾家であったり、アーティスティックな環境で育ったカエルの子である。
 17歳で学校をやめ、厳格なクラシック音楽教育に背を向けて、ラップ/ヒップホップ、インダストリアル・ロック、コンテンポラリー・ジャズを聞きまくり、「グローブ・トロッターズ」と名乗るワールド系ポリフォニーグループに参加してアーティストデビューしている。「音楽は反抗である」などと悟ってしまう20歳の時にレオ・フェレ(1916-1993)の音楽と邂逅(そのレコードは『レオ・フェレ 1969』ボビノ座ライヴ録音盤)し、電撃的なショックを受けている。
このフェレがバビックスの心の師となるのだが、ランボー、ボードレール、アポリネール、アラゴンといった詩人の作品にもフェレの曲を通して心酔していく。おそらくこのフェレ体験が、今度の新しいアルバム『クリスタル・オートマティック』(ランボー、ボードレール、ジャック・ケルーアック、エメ・セゼール、ジャン・ジュネ、ジャック・プレヴェール等の詩にバビックスが曲をつけた作品)の直接のインスピレーションとなっているようだ。フェレの影響とフェレへの敬意は、まだ自分のファーストアルバムも出ていない2004年に、レオ・フェレが1940年代にその初期作品を録音したスタジオ Studio Pigalle を買い取って修理復元再稼働させたということにも顕著であり、このスタジオの中でフェレの霊の震えを感じながら、バビックスのファーストアルバム『バビックス』(2006年 Warner Music)は制作された。
 現在までアルバムは3枚、トム・ウェイツ、アラン・バシュング、レオ・フェレなどと比較される黒い叙情性とダンディズムと精緻な音楽性を評価され、一方、その録音スタジオ環境を使ってプロデューサー/作編曲/作詞家としてカメリア・ジョルダナ、ジュリアン・ドレ、ポニ・オアックス、"L"(ラファエル・ラナデール)などと仕事している。どちらかと言うと後者の影の仕事の方が良く知られていて、言わば「新世代のバンジャマン・ビオレー」のような捉え方をされているようだ。
 バビックスとは4月14日、デュパンのコンサート(於:ステュディオ・ド・レルミタージュ) の時に、ビュダ・ミュージックのジル・フリュショーから紹介されて初対面。「影の大物」のことは前々から気にかけていたので、その突然の出会いに「ご高名はかねがねと...」とかしこまって挨拶すべきところだったのだろうが、目の前にいる気さくそうな青年の笑顔に、一挙にガードが下がって...。今度出る新しいアルバム(6月発売予定)について、ぜひ一緒に「仕事」ができれば、と。「仕事」と言っても私の場合は、雑誌にもの書いたり、業者に情報流したり、という程度のものだけど、そんなんでよければ。"Cool, je compte sur toi"(クール!あてにしてるよ)なんて言われると、"Tu peux compter sur moi"(まかしとき)と答えてしまう私だった。
 私はたしかに惚れっぽいタチではあり、出会ったアーティストたちはそれぞれにそこから放射するヴァイブレーションがあって、簡単にこの才能にはなんとかしてあげたいものだと思ってしまう傾向があるが、バビックスの波長はすごい。すごくでかくて鋭いものを感じた。これ大切ですよ。みんながそう感知するわけではないのだから。
 新しいアルバムの音はまだもらっていない。上に書いたように、ランボー、ボードレール、ジュネ、ケルーアックなどの詩を音楽化したもので、アルバムタイトルの『クリスタル・オートマティック』は、マルチニック島出身のネグリチュード詩人エメ・セゼール(1913-2008) の詩。ランボー、ボードレール、アラゴンなどを歌うのは、ジョルジュ・ブラッサッス、レオ・フェレ、ジャン・フェラ、バルバラ、カトリーヌ・ソヴァージュなど「大」シャンソンパフォーマー、あるいは左岸(リヴ・ゴーシュ)の文芸シャンソン派。私はどれもあまり好きではない。詩とは言葉と音韻の総合であり、詩はすでに音楽である。この点で音楽である詩にさらに音楽をつけるというのは、大変なリスクであり、中途半端な音楽では詩が絶対に堪えられないはずなのである。私は多くを知らないが、70年代80年代に日本のフォーク系の人たちが「中原中也を歌う」だの「富永太郎を歌う」だのそういう試みをしたのだが、本当に堪えられないものだった。だからバビックスのこの企図も相当なリスクを覚悟の上だろう。
 今現在、ウェブ上でバビックスのこの新アルバムの試みが垣間みれるのは、ランボーの「絞首刑者たちの舞踏会("Le bal des pendus"、中原中也訳では「首吊人等の踊り」)」と、ボードレールの「恋人たちの死("La morts des amants")」(詩集『悪の華』の一篇)の2曲だけである。後者はレオ・フォレも曲をつけて歌っているが、その前にクロード・ドビュッシー(1862-1918)も歌曲化している。では、僭越ながらボードレールの「恋人たちの死」の向風三郎訳を試みる。

私たち二人にはほのかな匂いにつつまれた寝床
墓穴のように深い寝椅子
棚の上には不思議な花々が
この上なく美しい空の下で私たちのために咲き誇る

私たちの二つの心は競ってその最後の熱を使い果たそうとする
二つの巨大な松明となる
私たちの二つの魂の中で、二つの光を反映して向かい合う
一対の鏡となる

宵は神秘のバラ色と青から成り
私たち二人はただひとつの閃光を交わし合う
別れの言葉が詰められた、最後の長い嗚咽のごとく

そしてしばらくののち天使が扉を開き
恭しくも楽しげに、曇った二つの鏡と死に絶えた二つの炎を
再び燃え上がらせに来るだろう

(シャルル・ボードレール「恋人たちの死」)

 エクスタシーはひとつの死である。死ぬほどの恍惚のあとに来るもの、それが音楽になるのだと思う。バビックスの解釈による「恋人たちの死」が(↓)です。音楽になるのは詩のあとだという展開。象徴的。これでアルバムがとても楽しみになったのですよ。



 


2015年4月11日土曜日

エデン伝

Fabrice Humbert "EDEN UTOPIE"
ファブリス・アンベール『エデン・ユトピー』

 題名は文字通り「エデン」と「ユトピー」というこの世にない二つのものです。この二つの単語をスタンダード仏和辞典で調べると次のような説明があります。

éden [eden] n.m. 1. (jardin de) l'E〜 【聖】エデンの園。2. 楽園。

utopie[ytɔpie] 〈Utopia,トマス・モーアの小説〉n.f. 1. l'U〜 ユートピア、理想国。l'U〜 de Fénelon フェヌロンの描くユートピア。2. 理想境;夢みたいな計画。Le désarmement total est-il une 〜?軍備の全廃は夢物語か?

 絵空事とわかっていながら、いつの世も私たちのような世俗の民は惹かれてきましたし、瞬時でも良いからその現出の場に立ち会ってみたいものだと思っていました。遠くから見ているだけではなく、ある日理想の社会というヴィジョンに突き動かされ、心も体もそれを目指して動くようになったりします。若い日に、どんな種類でもいい、そういう運動に多少なりとも関わった人たちは少なくないでしょう。もちろん私もその一人です。で、そのあと、なぜそれから遠ざかったのか覚えてますか?個々人の差はありましょうけど、大体が「夢から醒めて現実へ」のような苦いリアリズムであり、「現実に喰っていかなければならない」ことを受け入れることだったのではないでしょうか。70年代では「日和る」だの「挫折」だのとネガティブに言われたものですけど、あの時「現実を受け入れる」という「立ち止まり」をしなかったら、言い換えれば世界と自分との平衡感覚を修正するということをしなかったら、あなたの今はどうなっているかということを想像したことがありますか? ー 最初からこの小説の主題を提示しておきます。それは131ページめに書かれている一行です。
Il me semble qu'il existe un problème assez net dans la vie : comment sortir de l'imaginaire ? 
私には人生においてかなりはっきりしたひとつの問題があると思われる:それはいかにして想像界から抜け出すかだ。

 小説『エデン・ユトピー』 は20世紀に生きた二つの家系の史実に基づいたクロノロジーです。作者ファブリス・アンベールもその一方の家系の第三世代として実名で登場し、この作者が双方の家系の人々に取材を取って、このフィクションを排した壮大なる現代史のリアリティーを裏付けています。作者は気が利いていて、冒頭ページにこの二つの簡略家系図を載せていて、私のように名前を一度では覚えられない外国人中高年読者にはたいへん重宝です。
  さて出発点はいとこ同士の二人の女性、マドレーヌ(作者の祖母に当たります)とサラです。1910年代に生を受けた二人は家庭の事情で姉妹同様に育てられ、生涯を通じての親交を続けていきますが、まさに出発点が違うのです。労働者家系とブルジョワ家系です。マドレーヌは教育も物質も足りない環境で育ち、最初の結婚も恵まれないもので、家を出るために最初にあてがわれた男と18歳で結婚しました。夫のガブリエルはアル中で乱暴者で、家には金がほとんどなかったが、1934年に夫が肺結核で急死してしまい、幼い3人の子供をすべて里子に出して、自分は働き詰めに働き詰めに働かなければなります。それに引き替え、サラの方は、戦争でいささか勢力を失ったとは言えブルジョワでエンジニアのアンドレ・クートリと結婚し、クートリはやがて電気会社の社長として成功し、インテリで人望も厚い夫のおかげで、サラは名士の夫人として、一児(娘、ミッシェル)の母として裕福・平穏な日々を送ります。この二つの家系がどう変遷していくかの年代記です。これを作者は、文中で自然主義文学の祖エミール・ゾラ(1840-1902)の20巻におよぶ大作『ルーゴン・マッカール叢書』(第二帝政下の二つの家系ルーゴン家とマッカール家に関係を持つ全社会階層の人物1200人が登場するゾラのライフワーク作)をリファレンスとして出します。両者にあって「貧」と「富」、「不幸」と「幸」は交錯し、時勢や事件の中で流転するわけですが、長さはともかくとしてアンベールのこの小説もスケールの大きな時代絵巻を感じさせます。
 第二次大戦が終わり、レジスタンスとして戦い功績をなしたアンドレ・クートリが中心になって、パリ郊外クラマールに、プロテスタント信者の共同施設「ラ・フラテルニテ」(友愛)が建設されます。戦後のものがなかった時代に、資金は有志のカンパで、設計図面はエンジニアの心得のあるクートリ自らが引き、多くの人たちの手作業で木材、レンガ、セメントで何日もかけてこの建物は形になっていきます。集会場、宿泊施設、図書館、教室などを備えたこの建物は、 パリの南西郊外のプロテスタント信徒たちが集うコミュニティー・ハウスになります。
 フランスにおいてプロテスタントはマイノリティーの宗教です。信者数ではカトリック、イスラムに次いで3番目で、ユダヤ教徒よりは多いものの、全人口の2%ほどと言われています。他の3宗教に比べれば、メディアでの発言の機会も少ない。しかしプロテスタントはこの国で中世から弾圧と虐殺の歴史を体験してきましたし、フランス大革命、次いで20世紀初頭の政教分離を経てやっとフランスのプロテスタントはその信仰の自由を勝ち得たという経緯があります。20世紀末になって、プロテスタント者が二人フランス首相になりました。共に社会党員で、ひとりはミッシェル・ロカール(在位1988-1991)、もうひとりはリオネル・ジョスパン(在位1998-2002)で、少年時代にこのクラマールのプロテスタント・コミュニティー「ラ・フラテルニテ」で教育を受けています。「ラ・フラテルニテ」の創設メンバーのひとりにジョスパン家の人間(ダニエル・ジョスパン)がいたのです。小説の中では、少年リオネルは利かん坊で、牧師クリスチアン・ベラル(後にサラとアンドレ・クートリの娘ミッシェルと結婚する)の買ったばかりの自動車(シムカ)を盗んで(もちろん無免許で)乗り回し、捕まってベラルの大いなる平手打ちを喰らう、というエピソードがあります。
 創設メンバーはクートリ、ジョスパンの他にもう一人エマニュエル・ロッシュフォールという3人でしたが、政治的にはこの3人は異なっていて、クートリはド・ゴール派、ジョスパンは大戦中「コンバ」派レジスタンスに参加し戦後は無党派、ロッシュフォールは共産党員でした。しかしこの違いを越えて、「ラ・フラテルニテ」は文化・教育・精神の相互互助の場たるプロテスタント共同体として見事に機能して、会員を増やして発展していきます。ある種のユートピアだったかもしれません。それは一重に精神的リーダー、アンドレ・クートリの人徳と教養と良きブルジョワの懐の厚さによるものだったと言えます。 ですから、クートリが1977年に亡くなってから「ラ・フラテルニテ」は見る影もなくなります。
 マドレーヌもこの「フラテルニテ」のメンバーです。
 そのマドレーヌが再婚した相手アンドレ・メスレもアル中で労働者(電気工)でしたが、経済的な問題は多々あっても、勤勉で人の良い男で、マドレーヌは仕事を続けながらも前夫よりは波風のない日々を送るようになり、アンドレとの間に娘ダニエル(作者ファブリス・アンベールの母)と息子ジャン=ピエールの二児をもうけます。

 (全部書いてるときりがなくなるのではしょります)

 大きな変動は二つの家系ともそれぞれの「娘」から始まります。
 アンドレ・クートリとサラの娘ミッシェルは、「ラ・フラテルニテ」のあるクラマールのプロテスタント寺院の牧師の息子で、自らも牧師の教育を受けたクリスチアン・ベラルと結婚します。このベビーブーマー世代(日本でいう団塊の世代)は、親の世代のすべてに反抗することでその存在理由を証明してきたようなところがありますが、まず、誰もがうすうすと期待していた「ラ・フラテルニテ」の後継ということを二人はきっぱり断り、「ラ・フラテルニテ」とも疎遠になっていきます。そして68年5月革命への積極的な参加です。この時、二人には幼い4人の子供たちがいたのですが、子供を集会やデモに連れて行ったり、大音量の音楽を聞いたり...。ブルジョワ家庭は60年代的に退廃していきます。
 アンドレ・メスレとマドレーヌの娘ダニエルは、労働者階級と貧乏から抜け出す、ということが小さい頃からの夢でした。長身で目立つ美貌の少女は勉学でこつこつ自分の足場を固めていくことなど興味がなく、モデルや映画のキャスティングに応募するような...。就職しても、仕事よりも職場で男性上司にチヤホヤされるのが得意なような...。就職したのはルノー公団で、27歳の時、婚約して結婚式まであと間近という時期に、ルノーに出入りしている法律家と電撃的な恋に落ちて、駆け落ち同然の状態でその男と暮らし始めます。それが作者の父親モーリス・アンベールです。結婚して男児ファブリスをもうけますが、美貌の母親の上昇志向は満たされず、ルノー公団の重役のひとりピエール・エールセンに鞍替えします。エールセンは81年の社会党ミッテラン大統領誕生以来、経済界に多く進出していった社会党に近い経営人たちのひとりで、ルノー(自動車)、アバス(広告)などを経て、フランスの国内航空会社エール・アンテール(1997年にエール・フランスに吸収された)の社長にまでなっています。そして本文中にもその模様が出てきますが、サン・トロペに巨大な別荘を持ち、隣りの古代劇場を使って毎夏開催されるラマチュエル演劇祭の筆頭庇護(資金寄贈)者になっているので、その別荘で毎夏演劇・映画・芸能界のスターたちが集まる大パーティーが開かれます。そういう派手なシーンでひときわ映える社長夫人の姿がダニエルには似合うのです。なにしろず〜っと夢見て来たんですから。同時そこには、私たちの目には「ミッテラン以来」ず〜っと労働者階級を裏切って成功していく左派ブルジョワの姿もあります。
 貧しい労働者階級から出たマドレーヌの家系の2代あとが左派ブルジョワの頂点に昇ってしまう、というひとつの軌跡があります。
 ブルジョワ階級から出たサラの家系はその全く逆に向かうのです。貧乏になるというわけではありません。現実のヴィジョンとはずれた想像界に入っていくのです。
 68年5月革命で夢を見たミッシェルとクリスチアンの夫婦の4人の子供たちは、自分たちの親がその親を超越しようと反抗したように、上の世代よりももっと過激な闘争に入り、革命を実現しようとします。特に三女のエリーズは、クラシック・ピアノの得意な典型的なブルジョワお嬢さんから、テロ組織「アクション・ディレクト」のメンバーとなってテロ襲撃事件に関与していくのです。
 本書の後半はこの「鉛の時代」と呼ばれる1970〜80年代のヨーロッパの極左グループによる爆弾、誘拐、殺人、強盗襲撃などの直接行動についての記述が多くなります。ジャン=ジャック・ゴールドマンの兄で暗殺された極左活動家ピエール・ゴールドマンに関する記述もあります。私たちはここで、どうしても21世紀に起こっているイスラム過激派のテロ行動とパラレルなものを見てしまいます。今日もジハード渡航を志願するフランスの若者たちの数は増加の一途と言われます。
 多くの報道は「洗脳」「マインドコントロール」ということで説明しようとしますが、あなたや私は一体どうやってその罠から逃れたのか覚えていますか?十代(二十代前半)のことを、「夢」「理想」があった時期のことを? 私は今20歳になる娘がいて「そろそろ現実的なことを考えてみたらどうか」と諭す、イヤ〜なタイプの親になっている自分にがっかりします。「革命」ではなく「小さな幸せ」を探せ、という方便? Fuck !
 同じ理想を抱いて人々が集まり、共同で何かを始める  ー  これは即座に危険セクトと見なされそうです。親・友人たちはこういう何かを始めようとする人を制止する側に回ります。一体この今・現在で、どんなユートピアがまだ可能なのか? ジハードの誘惑に対抗できる夢を若者たちが持つことは可能なのか?

 ファブリス・アンベールの6作目の小説で、私は初めて読みました。2009年の小説『暴力の起源(L'Origine de la violence)』(ブッヒェンバルト収容所を訪問した際、そこに展示された収容者写真の中に自分の父親の顔があったと確信する男の驚き...。現在映画化中)を次に読んでみます。

FABRICE HUMBERT "EDEN UTOPIE"
GALLIMARD刊 2015年3月 288ページ。18,90ユーロ (↓)作者自身による作品紹介ティーザー。




 

2015年4月9日木曜日

僕はふたたび風になる


マルタン・レオン (Martin Léon)
1966年生れ、ケベックのシンガー・ソングライター。演劇と映画のための音楽も多く、エンニオ・モリコーネとも仕事している。2010年発表のアルバム"LES ATOMES"が、翌2011年にフランス国営音楽FM局FIPのセレクションに入り、今でもプレイリストに載っているが、CDはフランスでは配給されていない。日本でのことは知らないがまずないだろう。アルバム収録曲のほとんどが当時のFIPでオン・エアされていたから、私は久しぶりに、たぶん数十年ぶりに、ラジオだけでアルバムを愛聴したことになる。とりわけ最終曲の「僕はふたたび風になる(Je redeviens le vent)」が、心に沁みている。3年後の今も。

愛する人たちと別れ
友人たちとも別れた
不和になったわけではないのに
僕が進んできた道とも別れた
今日僕は別れ
僕は追憶になる
僕はふたたび風になる
鳥を飛翔させ
大海を歌わせる
ふたたび人の目から見えなくなって
これからは
春が僕の住処だ
僕の仕事や僕の皮膚や僕の血とも
おさらばだ
僕はふたたび風になる
僕にはもう未来はない
僕には自分の持っている時間しかない
最初の欲望のような
昇る朝日のような
きみのためにすべてを失うような
だがそれはとても短い瞬間だった
僕はふたたび風になる
  ( "Je redeviens le vent" - Martin Léon)





2015年4月3日金曜日

今朝のフランス語: Du temps de cerveau disponible

HK & Les Saltimbanks "RALLUMEURS D'ETOILES"
アシュカ&レ・サルタンバンク『星に灯を点す男たち』


 今朝のフランス語:Du temps de cerveau disponible (デュ・タン・ド・セルヴォー・ディスポニブル)

 HK(アシュカ)の新アルバムの中の曲、"SANS HAINE, SANS ARME ET SANS VIOLENCE"(憎しみも武器も暴力もなく)の歌詞に出て来る言葉です。最重要の単語は "disponible"という形容詞です。手元のスタンダード仏和辞典では
a. 1. 自由に処分(使用)しうる; (商品が)入手できる。 Ce produit n'est pas 〜 en ce moment. その品は今は手に入りません。 place 〜 空席。valeurs 〜s 【商】換価資産;【経】流動資産 2. 【行政、軍】待命中の。 3. 手があいている、暇がある。Je ne suis pas 〜 ce soir. 今晩はふさがっている。
といった訳語が出ています。これに従うと Du temps de cerveau disponible は「頭脳が自由に使える時間」「頭脳が空いている時間」というような意味になりましょうか。この言葉を発したのはパトリック・ル・レイPatrick Le Lay)で、時期は2004年、当時この人はヨーロッパ最大の民放テレビ局TF 1の社長でした。当時の第一線企業の経営者の談話を集めた本『Les digigeants face au changement(変動に立ち向かう企業トップたち)』の中で、ル・レイはこう言っています。
Il y a beaucoup de façons de parler de la télévision. Mais dans une perspective business, soyons réaliste : à la base, le métier de TF 1 c'est d'aider Coca-Cola, par exemple, à vendre son produit. Or, pour qu'un message publicitaire soit perçu, il faut que le cerveau du téléspectateur soit disponible. Nos émissions ont pour vocation de le rendre disponible : c'est-à-dire de le divertir, de le détendre pour le préparer entre deux messages. Ce que nous vendons à Coca-Cola, c'est du temps de cerveau humain disponible.
テレビを語るにはいろいろなやり方がある。しかしビジネスというパースペクティヴにあっては現実的であってほしい。基本にあるのは、TF 1の仕事というのは、例えばコカ・コーラ社がその商品を売ることを補助してやることである。ある広告メッセージが知覚されるには、テレビ視聴者の頭脳がそのために空いていなければならない。わが社の番組というのは、それを空けさせる(別訳すれば、自由に使える状態にさせる)任務があり、そのために二つの広告メッセージの間にそれを楽しませたり、リラックスさせたりして、広告知覚の準備をしてやることである。すなわち、わが社がコカ・コーラ社に売っているのは、この人間の頭脳が自由に使える時間なのである。
今から10年以上前のことですが、当時この発言は、商業目的のためにテレビ視聴者を洗脳・白痴化させることがテレビの仕事、という巨大テレビ局トップの本音として大変な物議を醸したものでした。
 私はこの騒動は知りませんでした。2日前に受け取ったHKの新譜の中の曲"SANS HAINE, SANS ARME ET SANS VIOLENCE"(憎しみも武器も暴力もなく)で、この「頭脳が自由に使える時間」という言葉が2回繰り返されていて、一体何のことだろうか、と調べたら、こういう事情がわかったのです。HKのおかげでひとつ博識になりました。ありがっとう。

憎しみもなく、武器もなく、暴力もなく
抵抗から不服従へ
俺たちの夢が石油の値段によってスライドするようになってから
俺たちの人生なんて何の意味もない それは明白だ

この広場から反乱が始まる
重装備隊が俺たちに対峙する
俺たちがそれと対決するのは狂気の沙汰
憎しみもなし、武器もなし、暴力もなし
俺たちは保護されていない動物
俺たちの廃棄はプログラムされている
やつらの商品棚から消え去らなければならない
在庫全品処分の前に

収入の条件など一切なく
やつらは俺たちを追い立てるんだ
最初の銃声を合図に
大量消費材を購入するんだ
やつらのためにこの商品を運ぶんだ
やつらのたいせつな、やつらのハートのターゲット
テレビに洗脳された頭脳の時間 (Du temps de cerveau disponible)
やつらはとても大事にしてるんだ
ハートのターゲットと
このテレビ漬けの頭脳をね (Ce temps de cerveau disponible)

憎しみも武器も暴力もなく
経済成長に麻薬漬けになった
神聖なる財界の説教者たちよ
俺たちはおまえたちに服従しない
俺たちは冒瀆の民である
俺たちに侮蔑を投げつけるがいい
石を投げつけるがいい
おまえたちの催涙弾が俺たちを黙らせるのに十分だと思うか?
俺たちの戦いが「賞味期限つき」だと思うか?
俺たちの意思表示が「使い捨て」だと思うか?

憎しみもなし、武器もなし、暴力もなし
憎しみもなし、武器もなし、暴力もなし

(Sans haine, sans arme et sans violence)




<<< トラックリスト >>>
1. SUR LA MEME LONGUEUR D'ONDE
2. MISTER JUKE (avec DJ BOULAONE)
3. PARA CHUANDO LA VIDA ? (avec LEON PENA CASANOVA)
4. RALLUMEURS D'ETOILES (avec LES MINI-SALTIMBANKS)
5. DOUNIA (avec ABOUBACAR KOUYATE)
6. SANS HAINE, SANS ARMES ET SANS VIOLENCE
7. LE MANOUCHE DU GHETTO
8. MERCI
9. Y A PAS D'PROBLEME
10. THE OLIVE BRANCH
11. SI UN JOUR JE TOMBE
12. JE TE DIS NON
13. A NOUS D'JOUER
14. UN GARS PAS TRES FREQUENTABLE
15. FUKUSHIMA MON AMOUR


HK & LES SALTIMBANKS "RALLUMEURS D'ETOILES"
CD BLUE LINE 
フランスでのリリース:2015年4月20日



PS (4月6日)
このアルバムとその中の曲(最終曲15曲目)の「フクシマ・モナムール」に関する、HK自身のコメントをメールでもらいました。その全内容は、パリの日本語新聞OVNIの2015年4月15日号の記事で書きました。ぜひ読んでみてください。

PS(4月17日)パリの日本語新聞OVNIの2015年4月15日号掲載の記事は(↓)のリンクで読むことができます。
http://www.ovninavi.com/784zizique