2015年3月23日月曜日

ゴールドマンのこども、こども、こども

レアック!と罵られましたね。
 "réac"  ー 手元のスタンダード仏和辞典では

[話]= réactionnaire

というつれない一行の説明。気を取り直して同辞典で"réactionnaire"の項を見ると
[蔑]a. (人・意見などが)反動的な。gouvernement 〜 反動的な政府。 ー n. 反動的な人。
という訳語が出ます。なるほど。わしらおよびわしらの上の世代が若い頃に使った表現でしょう。[蔑]とありますが、ある種の世代には「コラボ!」と同じくらい侮蔑的表現でしょう(「コラボ」とはコーラばかり飲んでるアメリカかぶれな坊ちゃんたちのこと。転じて対米協力者のこと ー な〜んて説明すると本気にする人たちもおりましょうね)。しかし、これは誰もが口にできる表現ではなく、自分がレアックと反対側にいる人でなければならない。つまり、保守反動の人が誰かに「反動!」と言っても、それは罵倒の表現ではなく、称賛の言葉になることだってあるわけです。この発語者は、進歩的で革新的で革命的な立場の人でなければなりません。そんな人たちが、旧時代の制度、秩序、価値にしがみつき、新しい時代の流れに逆らって、伝統を重んじよ、家父長制、徒弟制、年功序列、組織のヒエラルキー、男尊女卑...を重んじよ、という人たちに「反動!」と言うのです。進歩 vs 保守の対立構図ですね。60〜70年代には、時代の空気が社会的な進歩の側に味方してましたから、「反動!」という罵倒はそれなりに意味があったのでしょうけど、資本主義が極端なリベラル化の方向に向かい、先端テクノロジーの導入と企業戦略の斬新さと競争力と有効性こそが「進歩」になっちゃったので、労働条件や環境汚染問題を口にするわしらの方が「旧時代の価値」信奉者になっているような逆転現象もありますよね。
 「レアック réac」は「レアクショネール réactionnaire」の短縮であるように、「マニフェスタシオン manifestation」(示威運動、デモ行進)を「マニッフ manif」と短縮したあの60年代世代のノスタルジーがつまったような言葉です。21世紀人にはちっとも響かない言葉かもしれません。
 さて、前置きが長くなりました。レアック!と批判されたのは、2015年のレ・ザンフォワレのシングル "Toute La Vie"という歌で、作詞作曲はジャン=ジャック・ゴールドマンです。説明が必要でしょうねえ。レ・ザンフォワレとは、稀代の寄席芸人コリューシュ(1944-1986。2015年的な付け足しをしますと、風刺雑誌・新聞のハラキリ/シャルリー・エブドと密接な関係があった)が1985年に創設した慈善炊き出し団体「心のレストラン」を支援する有志芸人仲間のことで、彼らが無償でチャリティー・ショーをして、同団体の運営費(主に食糧仕入れ費)寄付の大キャンペーンをするという役目です。最初はコリューシュに直に縁のあったお笑い芸人や音楽アーチストの狭いサークルで、ジャン=ジャック・ゴールドマンは最初からその中核にあり、「心のレストランのテーマ」を作曲してコリューシュ、イヴ・モンタン、ミッシェル・プラティニ等とレコーディングしてシングルヒットさせました(1985年)。86年にコリューシュが他界してからは、ゴールドマンはコリューシュ未亡人ヴェロニク・コリュシ、喜劇女優のミミ・マティーと並んで「心のレストラン」のトップ世話人として立ち回っていました。
 80年代半ばに創立された頃には、コリューシュ自身考えもつかなかったと思いますが、「心のレストラン」は年々規模を拡大していき、今日、全国の「心のレストラン」センターの数は2000以上、利用者(すなわち無料で配給を受ける人たち)は90万人、期間中に配られた食事は2009年に1億食を突破しています。不況、失業、貧富差の拡大はとどまることを知らず、国の援助があるとは言え「心のレストラン」の果たす役割は非常に重大なものになっていて、その支援募金集めも一種の国家事業的な規模が必要になっています。そのシンボル的な募金キャンペーンが、レ・ザンフォワレのショーであり、そのCDとDVDの売上が「心のレストラン」の重要な財源であり、毎年一度、ヴァリエテ音楽界の有志スターたちが、個人プレイではなく集団的な演目としてさまざまなレパートリーを結合させて、ひとつのトータルなスペクタクルを発表するのです。その場にその時だけ集まって自分の持ち歌だけ歌うチャリティー・ショーとは全く異なる、時間と手間ひまをかけた大スペクタクルです。だから年に一度のテレビ放映(TF1)は毎回50%を越す視聴率をかせぎ、放映日の翌日に発売される(放送されたものと)同じ内容のCD とDVDはヒットチャートの1位になるのです。私も初めの頃のCDやDVDは持ってますけど、2000年代頃から興味がなくなりました。「心のレストラン」の活動には頭が下がるし、機会あるごとに寄付はしてますけど、レ・ザンフォワレのショーは飽きました。たぶん、私のような人は少なくないと思いますよ。たぶんジャン=ジャック・ゴールドマンはそれに気がついていたのだと思います。
 このゴールドマンの人となり、というのも説明の必要があるでしょう。ポーランド出身の父とドイツ出身の母の間に1951年パリに生まれました。父親は共産党員で第二次大戦中にフランスのレジスタンスに参加しています。極左活動家だったピエール・ゴールドマン(1944-1979。極右セクトによって暗殺された)は義理の兄です。1972年に結成されたプログレッシヴ・ロックバンドのタイ・フォン(Tai Phong。なぜか日本で評価高い)のギタリストとして参加してアルバム3枚、81年にソロアーチストとしてデビュー。ここからはフランスを代表する大ヒットアーチストになってしまうんです。ミリオンセラーに次ぐミリオンセラーで、たちまちのうちに金満家に成り上がります。だからゴールドマン。その他にジョニー・アリデイ、パトリシア・カース、セリーヌ・ディオンなどに曲を提供して、それらが全部当たるものだから、80年代と90年代はまさに恩寵の時期にあったと言えましょう。しかしこの人に特徴的なのは、テレビに出ない、マスコミに出ない、インタヴューに応じない、という控えめさです。で、これが往々にして「ゴールドマンはお高く止まっている」「傲慢である」という評価につながるのです。しかし、このことの根が、デビュー前に家族全員共にマス・メディアの曝しものになっていたピエール・ゴールドマン事件のトラウマである、ということはあまり知られていません。(これは別の機会に書きます)
 控えめでシャイな態度というのは、その後も「フレデリックス・ゴールドマン・ジョーンズ」(1990年〜1996年)というトリオでの活動にも顕われ、ソロアーチストとして絶大な人気と露出度があったが故に、それをトリオで希薄化させようとしていたようなところがあります。トリオはキャロル・フレデリックス(米ブルース・シンガーのタージ・マハールの妹。1952-2001)の不慮の死(セネガル、ダカールでのショーの直後の心臓マヒで亡くなった)の4年前には活動をやめていたし、マイケル・ジョーンズもキャロル・フレデリックスもソロに戻ったら、すぐに目立たない日陰のミュージシャンに逆戻りで、私はゴールドマンというのは友だち思いの薄いやつだと思ったものです。彼自身ソロ復帰して2枚のアルバムと2回のツアーをして、2002年を最後に、コンサート活動およびアルバム制作をやめてしまいます。
 2002年というのは大統領選挙で最有力候補と目されていた社会党リオネル・ジョスパンが、4月21日の第一次投票で、保守のシラク候補と極右FN党候補ジャン=マリー・ルペンにも破れ、第二次投票に進出できなかった(これをフランスでは「4月21日事件」と呼び、左派勢力の恥辱として後世に記憶されます)という衝撃的事件がありました。このジョスパン候補の大統領選キャンペーン曲として、ジャン=ジャック・ゴールドマンの"Ensemble"という歌が使われていたのでした。ショックだったでしょうね。
 何曲かの作曲作品を他のアーチスト(パトリック・フィオリ、ガルー、マイケル・ジョーンズ...)に提供したのを除いて、2002年からは音楽アーチストとしては隠居状態にあります。そんな中で、「心のレストラン」のレ・ザンフォワレの活動だけは1年も欠かさずに参加していて、この一座の座長的な立ち回りをしている。自ら進んで(似合わない)お笑いギャグの出し物に出ている。マンネリを打破しようとしている。そして2008年に大統領夫人になったカルラ・ブルーニをレ・ザンフォワレから除名する、という英断も下している。上で述べたように、貧富差の拡大、貧民層の急増、長引く不況で「心のレストラン」の需要は年々増加の一途で、その資金集めの最も重要な部分をゴールドマン一座が引き受けてしまっているのです。その控えめさにも関わらず、否、その控えめさがあるからこそ、ジャン=ジャック・ゴールドマンは、2013年以来、日曜全国紙JDD(ジュルナル・デュ・ディマンシュ)発表の6ヶ月に一度の人気調査「フランス人の好む有名人(La personnalité préférée des Français)」で4回連続の1位の座にあるのです。
 また息子のマイケル・ゴールドマンが設立した消費者出資参加型(クラウドファンディング)のレコードレーベルである My Major Company が企画した若いアーチストたちによるジャン=ジャック・ゴールドマン・トリビュート『ジェネラシオン・ゴールドマン(GENERATION GOLDMAN)』(Vol.1 2012年11月、Vol.2  2013年8月)は、2集合わせて百万枚を越す、驚異のヒットとなりました。
 というわけで、この静かで控えめな男は、今やピエール神父のような聖人性と、隠居して久しい大音楽アーチストの神秘性を合わせ持った「生きた伝説」となっているのです。
 
 いつかゴールドマンについては長い文章書きたいですね。もちろん会って話ができればもっといろいろな部分が見えてくるでしょうけど、本当に謎の多い人物であります。

 さて最初の話にもどります。2015年のレ・ザンフォワレの新録音のオリジナル・シングル "TOUTE LA VIE"のことです。作詞作曲がジャン=ジャック・ゴールドマン。いたってわかりやすい歌です。構成としては、すべてに絶望している若者たち(アド)の一団の不平不満・怒り・嘆きが一方にあり、それを反対側にいるレ・ザンフォワレの「大人たち」が受けて答えて諭す、という問答型です。


(アド)
閉ざされたドアと黒い雲
これが僕たちが受け継いだもの、僕たちの地平線
未来と過去で僕たちはあっぷあっぷさ
何が問題なのかあんたたちにわかるかい?
 (一座)
わからない!
(アド)
あんたたちにはすべてがあった、愛も光も
(一座)
私たちはそのために戦ったんだ、盗み取ったものなど何もない
(アド)
僕たちには嫌悪と怒りしかない
(一座)
でもきみたちにはあるんだ
きみたちにはまるまるの人生があるんだ
それはすごいチャンスなんだ
(アド)
まるまるの人生だって?
そんなものただの言葉さ、何の意味もない
(一座)
まるまるの人生
時間に値段なんかないんだ
(アド)
そんな絵空事、未来なしだ
(一座)
まるまるの人生
さあ、きみの番だ、行け
きみの番だ、行け
きみの番だ、行け

(アド)
あんたたちにはすべてがあった、平和も自由も職も
僕たちにあるのは失業と暴力とエイズ
(一座)
私たちが得たもの、それは勝ち取らなければならなかった
さあきみたちがそれをするんだ、きみたち自身が動かなければ
(アド)
あんたたちがしくじって、浪費して、汚染したんだ
(一座)
何を言っているんだ、煙を吸っているのかい?
(アド)
あんたたちが思想や理想を汚してしまったんだ
(一座)
でもきみたちにはあるんだ
きみたちにはまるまるの人生があるんだ
それはすごいチャンスなんだ
(アド)
まるまるの人生
そんなものでたらめさ、何の意味もない
(一座)
まるまるの人生
時間に値段なんかないんだ
(アド)
そんな絵空事、未来なしだ
(一座)
今日私は君たちの若さがどれほどうらやましいか
(アド)
うんざりだ、そんなものあんたの太っ腹と交換してやるよ
( 一座)
それが人生なんだ
それは慈しんだり
傷つけたりするもの
それが人生なんだ
さあ飛んで行け
飛んで行け
きみの番だ、行け
きみの番だ、行け




 私はこういう歌は本当に決まり悪くなりますよ。訳文書きながらこちらが恥ずかしくなる感じ。これを字句通りに取ったら、それは超レアックですよ。 子供たちはこんなものを聞くわけも歌うわけもない。こんなものを聞かされたら、「俺、ジハードに行くわ」と旅立ってしまう子供たちの顔の方が真実味あるでしょうに。

 2015年3月4日、この歌がレアックであるか否かの轟々の論争のさなか、15年間メディアでコメントをしたことがなかったジャン=ジャック・ゴールドマンが、民放TVカナル・プリュスの風刺報道番組「ル・プチ・ジュルナル」に登場しました。インタヴュアーは同番組のお笑いコンビのエリック&カンタン。すわなち、マジなインタヴューではなく、脚色されたシチュエーション・コメディーに仕上げたわけです。これが驚くほど、あざやか。ゴールドマン、技あり、という出来。エリックとカンタンが、ゴールドマンが何をどう説明しようが、一方的にこの歌もゴールドマンの態度もすべてレアックであると決めつけます。相手を指差してレアックと罵るあたり、とても60-70年代的です。この攻撃に対して、ゴールドマンが「レアックとは何なのか説明してくれ」と逆に問います。カンタンが「レアックとは過去の方が良かったという考え方だ」と答えます。ゴールドマンは「この歌は"過去の方が良かった”と一言も言っていない」と反駁すると、エリックが「あ、聞いたか、今"過去の方が良かった”と言ったぞ、レアックめ!」と言葉尻を取ります。
 「この歌は若い人たちにこれからは君たちが権力を握るんだと歌っている」とゴールドマンが言うと、「権力を握る、というのは全体主義者のセリフだ、全体主義者め!」と罵り、「若い人たちは何をしたっていいんだ」とゴールドマンが言うと、「それはアナーキズム思想だ、アナーキストめ!」と罵ります。エリックとカンタンは「あんたは反動主義の全体主義の無政府主義の陰謀主義のパラノイアだ!」とありとあらゆるネガティヴ主義の名前をつけてゴールドマンを非難し、「あんたのようなレアックにはお仕置き(ラ・フェッセ La fessée = お尻ペンペン)が必要だ!」と結論します。するとゴールドマン「ちょっとちょっと、ラ・フェッセというのはレアックじゃないか?」と返します。エリックとカンタン顔を見合わせ「あ、まずい、これレアックだ」と。
 この優れたコントのゴールドマンの名演技は脱帽ものです。そして番組ホストのヤン・バルテスが結びに「 このレアック論争の前、この曲はシングルチャートで117位だったのに、論争のおかげで18位まで昇った。この曲が好きだろうが嫌いだろうが、この売上は全額『心のレストラン』に収められ、それは毎冬1億3千万食を恵まれない人たちに供給しているのです」と言ってます。それでいいじゃないですか。

(↓)2015年3月4日、カナル・プリュス「プチ・ジュルナル」
Interview de Jean-Jacques Goldman pour s... par WowahosTv

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