2012年10月24日水曜日

ページビュー総数が「100 000」(十万)越えた

 昨日、2012年10月23日、15時7分(フランス時間)、当ブログの統計カウンターのページビュー総数が「100 000」(十万)を表示しました。おめでたいことです。ご愛読の皆様、ありがとうございます。
 当ブログは2007年7月4日に第一行を書き始めました。あの頃は、11年間続けていた『おフレンチ・ミュージック・クラブ』というフランス音楽関係のインターネット・サイトを閉鎖したばかり(2007年6月25日)で、自分が著者として初めて出す本(『ポップ・フランセーズ名曲101徹底ガイド』 。この書名は自分でつけたものではなく、今もとても違和感があります)の原稿を必死に書いていた頃でした。また起業して11年目になりかけていた音楽ソフト流通の会社を(数年続きの赤字を理由に)畳むべきか、続けるべきか、で、とても悩んでいた頃でもありました。忙しく、必死でもがいていた時期なのに、今読み返すと、軽くて、風通しも良く、誰にわかってくれと言っているわけでもない、押しつけもない、自分の楽しみが第一理由というリラックスした態度が、われながら驚きです。こんな余裕あるアティチュードであったのか、と。
 隠居老人「カストール」という自己設定も、最初から板についていましたね。あの当時はまだ53歳でしたから、「爺」を僭称などできるものではなかったのですが、私は早く老人になりたいという欲望をジョルジュ・ムスタキから教わったのでした。そのことは当時原稿を書いていた『ポップ・フランセーズ名曲101徹底ガイド』の中でこう説明しています。
 エディット・ピアフの歌「ミロール」の作者で、エジプト生まれのギリシャ系移民のアーチスト、ジョルジュ・ムスタキ(1934- )は若くして白髭をたくわえ、老人のような声で歌っていた。
 このことを最近のラジオで問われ、ムスタキは自分が生まれ育ったエジプトのアレクサンドリアでの思い出で答えていた。かの地では海浜通りのカフェに一日中老人たちがたむろしていて、カードやダイス遊びをしたり、道行く娘たちをからかったりして過ごしている。おまけにこの老人たちは社会からリスペクトされている。少年ムスタキはこれを見て、自分も早く老人になって悠々たる人生を楽しみたいと思ったのだそうだ。そこで若い時から老成したようないでたちふるまいを実行していたのだ、と。
 時はヒッピー全盛期で長髪&フルフェイス髭は当り前のような時代であったが、ムスタキはその顔かたちを「風になびく髪をした放浪のユダヤ人かギリシャの牧人か」とこの歌(註:"Le Métèque 異国の人”)で表現している。それは北側の身なりがきちんとして短く整髪された、この地のマジョリティーの人々とは違う、南側=地中海人の顔なのである。北側の人々はこのゆっくりした速度で生きる風変わりな人々を「メテック(古代ギリシャ語でメトイコス=市民権のない在留外人)」と蔑称的に呼んだのである。
 「ル・メテック」はそう呼ばれることを拒む人種差別反対のプロテスト・ソングではない。北側の人たちと違う人たちが、その違いを持ちながらここにいてもいいじゃないか、というマニフェスト的な歌である。人はみんな違っている方が面白い。パリの下町バルベスやベルヴィルのカフェに日がな一日たむろしている地中海系の老人たちはメテックであり、この人たちはリスペクトされるべきだ。ゆっくりとした時の流れに生きる南の人たちである。それは少年ムスタキがアレクサンドリアで見たものとさほど変わらないだろう。
 そして私たちが南下してマルセイユのようなところに行くと、ギリシャやエジプトやマグレブと変わることなく、一日のんびりカフェでパスティスを飲んでいたり、ペタンク遊びに興じている老人たちがいっぱいいるのだ。人、これを南と言う。
 ムスタキの歌はゆっくりとした速度で歌われ、好々爺から含蓄のあるよい話を聞かされているような趣きもあるが、その陽光の温度で眠くもなる。
 若くして老人であったムスタキは容貌に反して一番の趣味がオートバイで、大排気量ライダーであり、それでいたるところに放浪できるのである。そして老人趣味とは裏腹に、いつも若い女性とおつきあいしている精力マンでもある。
 ギリシャ的エピキュリアンと言えようが、この楽天的生活態度を北側の人間たちが嫉妬することからもレイシズムは芽生えてくるのだ。
  向風三郎
    『ポップ・フランセーズ名曲101徹底ガイド』(音楽出版社刊2007年)p-26-27
 
...と、思わず項目全文を引用してしまいました(あの頃、私はこんな魅力的な文章を書けていたのだ、という驚きを持って、全文コピーしました)。当時私はそういう老人的態度を手本にして「カストール爺」を名乗ったのでした。

 あれから5年と数ヶ月が経ちました。ページビュー・カウンターは2008年5月に設置したので、ブログデビューからの数字ではありませんが、昨日こうして「100000」に達したのはひとつの勲章です。思えば、2012年9月日本公開のフランス映画『最強のふたり』の大ヒットのおかげで、この記事 が twitter や facebookなどと通じて高く評価され、多い時は日に1000を越すページビューをカウントしていたことが、今日の「100000」に急激に押し上げた最大の原因です。その意味ではかの映画にも感謝しなければなりませんね。

 『カストール爺の生活と意見』 は、今後もこの老人的視点を失わず、ゆったりとしたリズムで、好きな時に、好きなように記事を更新していきます。お好きな時にいらして、ゆっくりしていってください。北国生まれの私は、これからも南方系の老人を目指してゆっくりと歩いていきます。
 

2012年10月10日水曜日

フレッド・ル・シュヴァリエというアーチストのこと

  1996年8月に私はパリ11 区のオーベルカンフ通りに事務所を開設しました。以来私はオーベルカンフ〜メニルモンタン地区で1日の大半を過ごす人間となったのですが、この地区のことを人の風聞で知っていても、仕事が忙しかったり、外に出る機会が稀だったりして、結局16年の長きに渡って、この地区をゆっくりと探訪することなどなく過ごしてきたのでした。近くのカフェ、近くの昼飯屋、近くのスーパー、近くのマクドナルド、近くのケンタッキーフライドチキン、近くの銀行の現金引き出し機、近くの新聞スタンド、近くの郵便局, 近くの露天市、近くのアカシア並木....そういうことは知っていても、この町がどんな顔をしていたのかはずっと知らなかったのです。時間をかけて見たことがない、と言うべきでしょうか。たまにわが家の都合で、飼い犬の世話を事務所で見なければならなくなった時、私は昼の時間にドミノ君(わが家のジャック・ラッセル老犬)の必要にかられて、メニルモンタン界隈を一緒に散歩するのですが、その時にこの愛すべき町の一部を垣間みていたのでしょうね。町はゆっくり歩くと普段見慣れている光景から、違うものをいろいろと見せてくれるものです。それを知っていながら、私はそれを見なかったのです。
   2012年6月、 地下鉄3号線リュー・サン・モール駅から、オーベルカンフ通りの事務所に向かう途中、幼児用にブランコやジャングルジムがある緑地スクエアがあったり、老人用にペタンク球技場があったりする、大きな通りアヴニュー・ジャン・エカールの壁に、紙にプリントしたイラスト画で、顔を陰陽風に白黒に半分けした少女が、「パリ21区、Anvers et contre tout」と書いたパリ街区の道路標識板を両手で持った貼り絵を見つけました。パリ・モンマルトルにある街区アンヴェール、またはベルギー・フランドルの港町アントワーペンを意味する地名Anversと、フランス語の慣用句 "Envers et contre tout"(万人に逆らって)を掛けたこの標識板を持っているのは、可愛らしさ半分、不屈の意志の強さ半分の不思議なキャラクターの少女。私はこの貼り絵に惹かれるものがあって、フェースブックで紹介しました。そして、日を経たずして、この貼り絵のアーチストが、このオーベルカンフ〜メニルモンタン界隈の町の壁に、別の作品を貼っていることを知りました。
 私はこの貼り絵アートに魅力を感じて、この界隈を歩いて、このアーチストの貼り絵に出会うことに大きな喜びを感じるようになりました。若い娘、若い男、男女カップル、男男カップル、女女カップル、異国から来たような男または女、異星から来たような男または女、不思議な乗り物、不思議な衣装、ハートを赤く塗りナイーヴに恋心をあらわにする男と女、花や魚や鳥などで装飾する分かりやすいロマンティスム... 例は悪いかもしれないけれど、この分かりやすさはサンリオ的だと思います。とても「高級芸術」の領域ではないものでしょう。
 私はそれから、オーベルカンフ〜メニルモンタン界隈をよく歩くようになりました。たぶんこのアーチストの作品に出会うことの喜びを体験するために...でしょう。私は9月からそれを見つけるたびにフェースブックで写真アルバムにして紹介するようになりました。「いいね!」をクリックしてくれるFBパルたちが少なくないのは、たぶん多くの人たちもこんな絵に町で出会ったら快いショックを覚えるのだろうな、ということを思わせてくれます。オーベルカンフ〜メニルモンタンという下町的で雑然とした風景の中で、この貼り絵のある空間は、わかりやすいポエジーの立ちのぼりが見えて、それを感知できる多くの人たちは微笑んでこの佇まいを見ているはずなのです。
 そのあと、私はこのアーチストがフレッド・ル・シュヴァリエという名前で、規模はどうあれ、ギャラリーで展示したり、画集を出版したりしている、非アマチュアのプラスティック・アーチストであることを知ります。フェースブックでも自分の活動を公開しています。
 私はこのフレッドがどれほどの価値があるアーチストなのかを判断することも評価することもできません。ただ、このナイーヴなアートに強烈に惹かれるものがあることは隠すことができません。そして街頭貼り絵という、刹那的である種過酷な環境を発表の場としているストリート・アートということにも思い入れが生まれてきました。なぜならば、雨が降ればこの絵は剥がれてしまい、心ない人がいればこの絵は剥がされたり上に落書きされたり、ということは避けられないのですから。実際に、私がフレッドの絵を通りで見かけても、それがそのままで保存され続けることはないのです。早ければ数日、遅くても数週間で、その絵は傷つけられ、剥がされてしまうのです。
 フレッド・ル・シェヴァリエというアーチストは今日インターネット上の情報で知る限りでは、名のある造形芸術家ではないですし、どうやって喰っているのかもわからないような、若くてナイーヴで心優しい詩人・絵描きであるように私は想像しています。
 なぜ、こんなふうにして通りの壁での貼り絵を続けるのか、それが何の役に立つのか。ー フレッド・ル・シュヴァリエは彼自身のブログの2012年10月 6日の日記で、そのことを考察しています。その青く若くナイーヴな省察に、私はとても心打たれました。それが何の役に立つのか。以下に本人の承諾なしに、私なりのやや過度な意訳も多少含まれますが、全文訳出しました。読んでみてください。

原文 = フレッド・ル・シュヴァリエ 2012年10月6日のエントリー
2012106日(土曜日)
CA SERT A QUOI ?

何の役に立つのか? 人はしばしば僕に問う,貼り絵をすることが一体何の役に立つのか? それは「なぜ?」「どうやって?」「いつ?」という質問を伴う。往々にして最も単純な質問こそ最も難しいものだ。それは僕が一度もしたことがなかったのに,ずっとやりたいと思っていたことだからだ。それはエルネスト・ピニョン・エルネストの影響,それは子供時代のせい,それは詩のせい,そして何かを再び見出したいから,発見したいから,探検したいから。最初は僕が愛していた人のためだった。その人の通り道に貼ること。

そうとも。最初は自分自身のために始めるもんだ。常に。自分自身の物語を語りたいから,自分自身の最も美しい部分を出したいから,それを自分の恐れと涙の液体に漬けさせて,そこに微笑みと優しさを加えて,人は自分自身のために始めるんだ。そのあとで他者との分け合いがやってくる。分け合いと共に飛躍もやってくる。

そんなものは何の役にも立たない,まったく何の役にも。それは良い「コミュニケーション戦略」だろう,確かにそうだが,幼児が3歳になって色エンピツを持って初めて描いた怪物の絵を自分の部屋に貼るとき,それはマーケッティング戦略か? 一階の通りに面した窓に,その絵の表を通りに向けてスコッチテープで貼る時,その子は「コミュニケーション」を意識しているだろうか?

確かに画商たちが見るかもしれないし,お金に興味がないわけではない。「きみにとてもいい仕事を提案したいんだ」という話にももちろん興味はある。だけどそのために絵を描いているのだったら,それはまずしいことだ。

それは何の役にも立たないけど,おおいに役に立っているかもしれない。この貼り絵の前でひとりの女性が立ち止まった。イスラムのスカーフで頭を包んだこの女性は小さい男の子を連れていた。その前にはひとりの老婆が立ち止まり,別の時には同性愛のカップル,酔っぱらい,シックな紳士が同じように立ち止まった。僕は変わらない。いつものように不健康そうな顔をして,黒い衣装を着て,糊を上から下に塗り付ける。立ち止まる人たちはいつも変わる,そして時々微笑みかけてくれる。

今日の女性は連れていた小さな男の子と一緒に写真を撮った。そして私にありがとうと言った。その人はこの絵を「美しい」と言ってくれたんだ。「きれい」じゃないんだ。「美しい」なんだ。わかるかい? それはこのことのために役立ったんだ。僕は大多数の人々に対して何も言いたいことはないし,言い合うことなどほとんどないし,彼らがお互いを支え合って生きていることには言うことはおろか笑うことさえできない。この女性とも何も言葉を交わさずに済まされたはずなんだ。

何も言葉を交わさずに済んだはずなのに,僕とその人は何かを分かち合ったんだ。ほんの5秒か10秒の間,僕は二人を微笑ませ,その微笑みのかけらを僕は二人から盗み取ったんだ。何の役にも立たないけど,このことだけ。それだけでこれはすごいことなんだ。

 私はこのアーチストのおかげで、オーベルカンフ〜メニルモンタン界隈を毎日フレッドの貼り絵を探して歩くようになりました。A quoi ca sert ? 何の役に立つんだ?とフレッドは自問しますが、私はこのおかげで町を興味深い目で見ながら歩くようになったのです。それだけでもこれはすごいことなんだ、とフレッドに言ってやりたい気持ちです。


(↓ Youtubeにある唯一のフレッド・ル・シュヴァリエ動画)