2012年3月10日土曜日

トニー! トニー! トニー!

『インディニャドス』2012年フランス映画
"Indignados" トニー・ガトリフ監督映画

フランス公開 2012年3月7日

 第二次大戦レジスタンス闘士で元外交官の老論客ステファヌ・エッセル(1917 - 。当年95歳)が著した32ページの小冊子『憤激せよ!(Indignez-vous!)』は2010年10月21日に刊行され、その薄さと値段の安さ(3ユーロ、約300円)も手伝って瞬く間に百万部を突破し、1年後には34カ国語に翻訳され、世界で4百万部を売る大ベストセラーになりました。この本は向風三郎がラティーナ2011年2月号で詳しく紹介していますが、世界人権宣言の起草者のひとりであるエッセルが、2000年代に入ってからのフランスと世界において以前にも増して人権が無視され、蹂躙されている現実に激しい憤りを覚え、人生の幕を閉じようとしている老人の最後の声として、若者たちに「憤激せよ、行動せよ」と説いたエッセイです。内容はほとんど政治パンフレットと言っていい、具体的な事実と問題を上げ、それに対してどう行動するべきかが平易な文体で書かれてあります。(日本語版は2011年12月に日経BP社から『怒れ!憤れ!』という題で発売されたようです。)
 トニー・ガトリフのこの作品は、この小冊子にインスパイアされた自由翻案による映画という但し書きがついています。この小冊子にインスパイアされたのはガトリフだけではありません。世界の多くの人たちがこの本に「アジられて」行動しています。パリ、マドリード、バルセロナ、アテネ、ニューヨーク... 世界中で憤激して広場を占拠している人たちがいます。この2011年〜2012年的状況は、世界が極端に悪くなりながら、いたるところで希望の種が芽生えています。この映画はその緊急性の中で制作されました。「アラブの春 」がどういう結論で語られるのかを待っているわけにはいかないのです。重要なのは「アラブの春」が確かに存在したということです。トニー・ガトリフはこの小冊子とそれに呼応する世界の激動に待つことなどできずに、現場に行ってカメラを回しました。待つことのできない映画、私たちがこの作品で見なければならないのは、その映画人の抑えがたい衝動でしょう。その衝動の土台は「憤激」「怒り」なのです。
 映画は地中海の欧州側に打ち寄せる波に始まります。その波は砂浜にたくさんの数のスポーツシューズを運んできます。それはアフリカから欧州に「密航」という手段を使って渡ろうとした夥しい数の若者たちの失われた命を象徴しています。その打ち寄せる波の中で、ひとりのアフリカ少女が生き残って浜辺にたどりつきます。少女はそこから(NikeやAsicsなどのスポーツシューズのコマーシャルフィルムのように)走り始めるのです。 映画はこの少女(ベティーという名前になっています。映画中の警察調書にも"Betty"という名前が現れ、映画最後のクレジットタイトルにも"Betty"という名前になっています。おそらく実名など出せない本物のクランデスティーナ=密航者でしょう。しかしその名の通り「ベティー・ブープ」のような無垢な笑顔をした娘です)が激動する欧州を移動しながらの出会いと体験と受難を描くロード・ムーヴィーという進行です。
 このアフリカ少女は異星人のように、ヨーロッパ言語を一言もしゃべれないのです。ヨーロッパに打ち上げられて、最初から彼女はヨーロッパ人の悲惨を目にします。極端な状態でサバイバルを生きるホームレスたち、人間としての尊厳を一切認められない移民たち、そういう中で彼女は幻滅もせずに、アフリカに残る家族たちにヨーロッパにたどり着いた幸運や未来における成功をポジティヴに語る手紙や電話メッセージを送るのです。目の前にあるものはポジティヴなものは全くないのに、彼女は(フランス語字幕ですが)「ça ira 」(なんとかうまく行くだろう)と独語するのです。この ça ira (サ・イラ)とは、1789年フランス大革命の時に、市民たちが特権階級をギロチンに処する行動を歌った革命歌へのリファレンスです。ベティーがどんな逆境(警察に捉えられ、移民収容所に収監されたり、強制送還に処されたり)にあっても、ポジティヴに「サ・イラ」と自分に言い聞かせるのは、希望が絶対に消えないからなのです。その儚くも淡い希望の炎をベティーはパリで、アテネで、マドリードで見てしまうのです。
 パリの町で、ひとりの少女がスマートフォンの映像を見て小躍りして興奮しています。彼女は友人に電話をかけ「今、チュニジアで何が起こっているのを知ってるか」と昂ってしゃべっています。ここにジャスミン革命の実録映像が挿入され、ベティーはこの踊りながら電話でしゃべっている娘の興奮に微笑みます。無宿無一文のベティー(路上で寝ています)が生きていけるのはこういう娘たちがいるからです。ガトリフ一流のポエティックな映像で、廃墟となったプール跡地(確証はないですが、私が80年代によく通ったパリ16区のピシーヌ・ドトゥイユだと思って見ました)で政治スローガンの紙吹雪の中でフラメンコを踊るジプシーのシーンは、ロマや不法滞在移民たちという逆境にある人々こそが、この起こりつつある革命の表現者となれる、というメッセージと理解しました。
 映画はこの他にもポエティックで象徴的な映像がたくさんあります。チュニジアで起こった革命が、26歳の失業者が街頭で果物(オレンジ)を売ったことを警察に咎められて、その抗議に焼身自殺したことから始まったということへのオマージュとして、無数のオレンジを地中海の南側の町から転がし、そのオレンジが港にあった小舟にも転がり落ち、小舟に乗って地中海の北側のヨーロッパにも転がっていく、という美しいイメージがあります。
アテネで、パリで、マドリードで、ベティーは怒れる人々の非暴力的な運動(「われわれの武器は手拍子である」!)を見ながら、「サ・イラ」という独り言を確かなものにしていきます。
 しかしバスティーユ広場もプエルタ・デル・ソル広場も機動隊はその人々を強制的に排除してしまいます。ベティーも見知らぬ土地の、見知らぬ住宅街工事現場の無人地帯の中で閉じ込められてしまいます。映画はその解決や、次なる革命の可能性などは提示しません。しかし、現在進行形の緊急性は、このままで終わってはならないという「今」を訴えないわけにはいかないのです。
 この映画は用意周到に作られたものでは全くなく、その雑なところは隠しようがありません。トニー・ガトリフは、まるでヌーヴェル・ヴァーグ時代のゴダールのように、震えるハンドカメラで撮っています。そして「政治時代」のゴダールのように、スローガンを字幕で大写しにします。ゴダールが毛沢東語録の断片を引用したように、ガトリフはステファヌ・エッセル『憤激せよ!』を随所で引用して字幕にします。これはそういう映画なのです。
そういうことを理解しようとしないで、テレラマ誌やマリアンヌ誌といった(言わば左翼系の)雑誌はこの映画を酷評しました。プロパガンダ(お)説教映画へのアレルギーでしょう。
 3月10日、ただでさえ上映館の少ないこの映画(パリでは4軒のみ)を、私はわざと隣町のナンテール(オー・ド・セーヌ県)の映画館で見ました。ナンテールはフランスでも最も裕福な県と言われるオー・ド・セーヌ県の県庁所在地でありながら、戦後以来ずっと共産党が市政を司る、我が家の近所で最も「赤い町」です。この町だったらこの映画は満員だろう、という期待で行きました。結果は私の回は客がたったの二人でした。なぜなんだろう、と悲しく思いました。ステファヌ・エッセルの本にうなづき、抵抗の心を鼓舞された何百万という人々はどこに行ったのだろう、と思いました。しかし、人がいようがいまいが、この映画は緊急でスリリングで胸を熱くさせる、いつものトニー・ガトリフ節なのです。音楽も熱い涙を流させるガトリフ節なのです。断じて、請け負います。

(↓『インディニャドス』予告編)

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