2010年12月28日火曜日

ポロさんの甥っ子の熱いカリビアン・ジャズ



GILLES ROSINE "MADIN'EXTENSION"
ジル・ロジーヌ『マディン・エクスタンシオン』


 1970年マルチニック生まれのピアニスト,ジル・ロジーヌは、マラヴォワのリーダー/ピアニストだった故ポロ・ロジーヌ(1948-1993)の甥です。8歳でピアノを始め、90年代初めにパリの音楽師範学校およびパリ第4大学(ソルボンヌ)で音楽を学び,そのパリ滞在中にシューヴァル・ブワのデデ・サン・プリ、コンパのジャン=ミッシェル・カブリモル(&マフィア)などのツアーにピアニストとして参加、1994年にはパリのクラブ、プティ・トポルタンで開かれた第一回めの「ビギン・ジャズ・フェスティヴァル」にジルが結成したカリビアン・ジャズ・トリオで出場し、アラン・ジャン=マリーやマリオ・カノンジュと看板を分けたのでした。
 95年にマルチニックに帰島。フォール・ド・フランスのサン・ジェイムス・クラブを根城に、ドラムスのジョゼ・ゼビナ、ベースのジャン=マルク・アルビシー(マラヴォワのベーシスト)、コントラバス/パーカッションのアレックス・ベルナール(ファル・フレットのベルナール三兄弟のひとり)等と組んだコンボで、本格的なカリビアン・ジャズ・アーチストとして名を成していきます。
 2003年に自主プロデュースでファーストアルバム『ペイ・メレ(Pays Mêlés)』(「混ざった国」という象徴的な名前ですが、これはジルが生まれ育ったラマンタン町の地区の名前だそう)を発表。これは20人ほどのミュージシャンとの共演で作ったビギン・アルバムで、アレックス・ベルナール、クリスチアン・ド・ネグリとマノ・セゼール(共にマラヴォワのヴァイオリン奏者)、ラルフ・タマールとトニー・シャスール(マラヴォワの歴代のヴォーカリスト)が参加し、2004年に同島の著作権協会(SACEM)レコード賞の新人賞を受けています。
 2006年、イビスキュス・レコードとの共同プロデュースでセカンドアルバム『シマン・トラセ(Chimin Tracé)』(「道筋」「道の跡」)を発表。これも前作同様、同島の多くのミュージシャンの参加で制作され、新らたにエリック・ボヌール(ギター)、ニコル・ベルナール(ヴァイブラフォン)、ダニエル・ルネ=コライユ(ヴォーカル)などの参加も得て、ビギンだけでなく、ベレール、シューヴァル・ブワ、マズルカ、カドリルなどマルチニックの伝統音楽全体にレンジを拡げ、ジルの新しい解釈によるマルチニック音楽の新ハーモニー構築が試みられています。おそらく伯父ポロさんのマラヴォワでの試みを継ぐようなかたちで。
 その伯父へのオマージュは2007年、トニー・シャスールがその機会に結成したビッグバンドを、ジル・ロジーヌが編曲指揮するというかたちで催されたマルチニック島とグアドループ島でそれぞれ1回ずつ開かれたポロ・ロジーヌ15周忌記念コンサートと、そのライヴアルバム『15 ANS DEJA - GILLES ET TONY RENDENT HOMMAGE A PAULO ROSINE』となって、往年のポロさんのファンたちを喜ばせました。
 
 さて2010年のアルバムです。歌なし。『マディン・エクスタンシオン(Madin' Extension)』と題されています。マディニナ(Madinina)、マディアナ(Madiana)、イル・オ・フルール(花の島)などとも別称された島マルチニックの音楽を拡張(エクスタンシオン)して広範囲な視野から見るとどうなるか。答えは「カリビアン・ジャズ」です。ベルナール父子(アレックス = コントラバス、ギヨーム = ドラムス)、ジャン=マルク・アルビシー(ベース)、ジョゼ・ゼビナ(ドラムス)、ミッキー・テレフ(パーカッション)を中核メンバーとした、ピアノ・トリオ、またはピアノ・トリオ+ワン(パーカッション)の演奏を軸に、3曲では金管3本(トランペット、トロンボーン、サックス)を加えた厚いアンサンブルで、おおむねかなりホットなプレイを展開します。私たちがとかく思いがちな、ビギン・ジャズのクールさとエレガントさとはかなり事情が違っています。これは非常に熱いジャズです。パーカッシヴで、超絶ベースがブイブイうなり、ジルのピアノも時おり南海の荒波のように吠えます。そして伯父さんのようによく「歌う」ピアノの抒情性も。疾風怒濤のロマンティスムとも聞こえます。
 11曲のうち9曲がジルの作曲。2曲が伯父ポロ・ロジーヌの曲で、2曲ともジルのソロ・ピアノ録音でそのリスペクトがじっくりと伝わってきます。
 アラン・ジャン=マリー、マリノ・カノンジュという大先輩のビギン・ピアノ・ジャズのルートから、全く新しい方向に大きく踏み出したマルチニック・ジャズのアルバムでしょう。その作曲家としての才能を、カリビアン・ジャズのピアノの魔術師ゴンサロ・ルバルカバが、このアルバムのブックレット中の跋文で絶賛しています。風の吹く島マディニナの風雲児ピアニストの登場です。

<<< トラックリスト >>>
1. BELYA POU DEMEN (Gilles Rosine)
2. LALOU (Gilles Rosine)
3. YON' A LOT (Gilles Rosine)
4. ARC-EN-CIEL (Gilles Rosine)
5. CONTRETEMPS (Paulo Rosine)
6. SWEET BIGUINE (Gilles Rosine)
7. EXTENSION (Gilles Rosine)
8. ROMANZA (Gilles Rosine)
9. WA TIRE'Y (Gilles Rosine)
10. MATINIK JODI (Gilles Rosine)
11. ANTOINISE (Paulo Rosine)

GILLES ROSINE "MADIN' EXTENSION"
CD GILLES ROSINE/POKER PRODUCTION 001009
フランスでのリリース:2011年1月24日


(↓)テレビARTE JAZZ LIVEで放映された、マルチニック・ジャズ・フェスティヴァルでのジル・ロジーヌ。曲目"ROMANZA"
ジル・ロジーヌ(ピアノ)、アレックス・ベルナール(コントラバス)、ギヨーム・ベルナール(ドラムス)、ミッキー・テレフ(パーカッション)

2010年12月22日水曜日

余は如何にしてムスリムとなりし乎

  Abd Al Malik "LA GUERRE DES BANLIEUES N'AURA PAS LIEU" アブダル・マリック『郊外戦争は起こらない』 Abd Al Malik "QU'ALLAH BENISSE LA FRANCE !" アブダル・マリック『フランスに神(アラー)の祝福あれ』  エドガール・フォール(1908-1988)は政治家で第四共和制に2期内閣首班をつとめた重要人物であったが、中道左翼から出て次第に保守権力派に移り、常に勝ち組の中にある風見鶏と見られていました。フランス学士院のメンバーでもある文筆家(随筆家)で、音楽家でもありました。その孫にあたる哲学者ロドルフ・オッペンハイマーが中心となって、2007年からエドガール・フォールの名を冠する文学賞が創設されました。その特色は「政治文学」に限定され、その年最も優れた政治に関する刊行書に与えられるもので、その第4回めの2010年のエドガール・フォール賞が、アブダル・マリックの『郊外戦争は起こらない』に与えられたのです。この賞がどのような権威と価値があるのか、私には判断がつかないものですが、歴代の受賞者に現政府の農業大臣ブルーノ・ル・メール(2008年)(政治的には大統領党UMP内の反主流ヴィルパン派)や,ネオ・リベラリスムの論客マチュー・レーヌ(2009年)がいたりして、それらの本は一般には大きな話題になっていません。審査員の顔ぶれを見ると、保守と左翼の元と現役の政治家が多く、その左右のバランスは取れているとは言えこの人たちは文学よりは政治に関するオーソリティーたちであり、この賞は「文学賞」と言うよりも「政治エッセイ賞」のように見えます。ですから、アブダル・マリックがこれを受賞したということでつく「ハク」は、その文学性への評価ではなく、高度の政治プロの仲間入りをしたということになるように思うのです。  ところが、この『郊外戦争は起こらない』は「文学であろう」という意図がはっきりと見てとれるのです。彼は政治プロの仲間入りなど望んでいるわけはないものの、この小説はこれまでラップ/スラムで展開してきたライム/物語/言説を文学(ひいては小説)という領域に拡張しようという試みであったはずです。  ソロアルバム第2弾『ジブラルタル』(2007年)の成功で注目される前、2004年にアブダル・マリックは、自叙伝的エッセー『フランスに神(アラー)の祝福あれ』を発表しています。これはジェラール・ジュアネスト&ジュリエット・グレコ夫妻と出会う前の本です。つまり熱心にNAP(ニュー・アフリカン・ポエツ。アブダル・マリックをメンバーとするストラズブールのラップバンド)を聞いていた人たち以外には、まったく無名だった頃で、29歳だったアブダル・マリックの生まれてからの軌跡が綴られています。それはアフリカ人の子としてフランスに生まれ(生まれた時の名前はレジス)、母親の手ひとつで6人の兄弟姉妹のひとりとしてストラズブールの郊外(バンリュー)のシテ(低家賃高層集合住宅)で育てられ、貧困ながらも学業成績優秀という「表の顔」と、そのシテ的環境から簡単に金稼ぎできる方法を覚え、中学生で既に窃盗や麻薬密売などの腕利きになっていくという「裏の顔」も持つ、少年の二重生活が描かれます。  シテの地下倉庫では彼と同じくらいの年端も行かぬ子たちがジャンキーとなり、廃人と化していくのを彼は現場で見ていて、オーヴァードーズ、エイズ、尋常ならぬ交通事故、自殺、暗殺などで命を落していった子供たち20人の名が記され(P.50)、その冥福が祈られています。  しかし、彼は他の子とは違う何かがあるのです。それは多分父親が与えてくれたものです。コンゴ共和国(ブラザヴィル・コンゴ)で、フランスのグランゼコール(エコール・ポリテクニック)卒業のエリートであった父は、その高官の地位を捨てて「ローリング・ストーン」になります(政府の主流派の出身部族が代わったために、その地位に居づらくなったようです)。その日から一家の貧困は始まり、父は家を出て、母親ひとりが生活保護で子供たちを育てるようになります。それでも彼は父を全く恨んでいないのです。そのインテリジェンスの多くは父が与えてくれたものでしょう。少年レジスは学業成績では常にトップクラスにあり、学校の模範生であるだけでなく、父の残した本棚の本や図書館の書物を読み漁るという知識欲の旺盛な子でした。周りのバンリューの子たちと一線を画する「哲学性」を早くから身につけていたことが、廃人にならず、命を落すことにならなかったという理由のひとつだったのかもしれません。またこの本で強調されているのは、レジスがヘヴィー・ドラッグやアルコールには一切手を出さなかった、ということです。その第一の理由はドラッグが「仕事」(窃盗や麻薬密売)の手を狂わせる、ということを明晰に見抜いていたからだ、というのです。  表向きの(貧乏)優等生は、裏で非行の天才として裕福に暮らしている、これを母親には絶対に気づかれてはならない、というところは、長身でエレガントで女性にもてた父親とも共有する後ろめたさです。彼は母親も父親も愛してやまないのです。  その明晰な哲学性は、ある日レジスをイスラムに改宗させ、レジスというキリスト教洗礼名を捨て、少年はアブダル・マリックとなります。この日から彼の果てしない求道が始まります。なぜイスラムなのか? − この答えを彼はこの本と、それに続く『郊外戦争は起こらない』で長々と展開するのですが、私にはそのエモーションはよく伝わってくるものの、「なぜ」のところはよく理解できていません。おそらくそれが理解できたら私もきっとイスラム者になるでしょう。お断りしておかなければならないのは、この2冊は全くイスラムのプロパガンダ(布教と言うべきか)的な性格を帯びたものではない、ということです。魂の道程の記録として読まれるものでしょう。  アメリカ同様、フランスのラップの世界でも重要なアーチストがイスラムに改宗するケースが増えていて、ディアムス、アイアムのアケナトンなどがその代表です。私はアブダル・マリックとアケナトンとディアムスが同じテーブルについて、それぞれのイスラムを語り合う、という機会があれば、かなり面白いことが聞けるのではないか、と想像したりします。  19歳の頃、アブダル・マリックはモスクの中に集まり祈るだけでなく、モスクの外のバンリューで飢えたり、絶望したり、廃人になったりしている兄弟/姉妹たちをどうして救済しようとしないのか、と目覚め、積極的にバンリューで布教活動する(街頭で辻説法をする)イスラム行動派グループの一員となります。集会や合宿キャンプに参加し、小グループで全国を布教行脚し、イスラムの新思想リーダーとして台頭する(賛否両論ある)エジプト系スイス人大学教授タリック・ラマダンとも交流しています。  兄のビラル等と結成されるラップのグループNAP(ニュー・アフリカン・ポエツ)は、バンリュー的ライムにイスラムの考え方を融合させる(当時は)珍しいバンドとしてスタートし、94年の自主制作マキシCDでレコードデビュー、96年にフルアルバム(配給が、私も在籍したことのあるナイト&デイで、私の恩人にして同社ディレクター、今から1年前に亡くなったパトリック・コレオニがNAPの発掘者であったと言えます)、98年からメジャーのBMGと契約して、全国的な知名度を得ていきます。しかしこの頃アブダル・マリックはまだはっきりと「非行」(窃盗犯罪等)と決別していないのです。  この後にやってくるのがスーフィズム(イスラム神秘主義)との出会いです。優等生〜在野の知識人/非行の天才〜プロの犯罪者/イスラム行動隊メンバー/ラップアーチストという多面の顔を持っていたアブダル・マリックは、ここで初めてその相反する自分の断面をひとつに統合して、ひとりのイスラム求道者として普遍(L'universalité)への道を踏み出すわけです。神は分割/対立するものがなく、統合である、という前で、自分の内外の分割/対立をどう乗り越えて統合するか、というのが求道者アブダル・マリックの問いです。  スーフィー手引書の著者に始まり、さまざまな人物と出会い、彼はこの問いを発します。モロッコに赴き、(現代スーフィー界最高僧のひとり)シディ・ハムザ師に教えを乞います。この度重なる出会いの中で、パリ16区のブルジョワ家庭に育ったフランス人白人ファビアン(イスラム改宗して名前はバドル)という28歳の若者の話が出てきますが、この人物は次作の『郊外戦争は起こらない』の中でトマ(イスラム改宗後の名前はシディ・アキル)という名になり、バンリュー/シテの中で医院を持つ若き白人医師として、小説のキーパーソンのひとりで再登場します。  内なるイスラムに開眼したアブダル・マリックは外に向かって歩み、ユダヤ者、キリスト者たちと同行してアウシュヴィッツへの旅を敢行し、人類のドラマに宗教の境などないことを悟る、という感動的な終結部を持ってきます。しかし、そこで警察パトカーのサイレンが鳴り、弟のステファヌが逮捕/連行される、というシテ的現実に戻されて、このアブダル・マリックの最初の本は閉じられます。  2010年、アブダル・マリック35歳は、既にポジティヴなラッパー/スラマーとして評価が定着しています。そのポジティヴさは彼自身の劇的な転身(移民の子、荒れたバンリュー、非行犯罪、イスラム〜スーフィズムとの出会い、シャンソン/ジャズを融合させた愛と求道のラップ/スラムの成功、排外主義と原理主義に対抗する論客...)によるものですが、それに喝采する者もいれば、そのお説教色に背を向けるバンリューの若者たちもいます。特にメディアでの彼の露出があまりに「文化人」然とする時、シテの現場はついていけなくなるのは無理もありません。多分彼はその辺を悩んだのかもしれません。  『郊外戦争は起こらない』は小説です。フィクションです。小説は前述のモロッコのスーフィー高僧シディ・ハムザに捧げられ、プロローグとしてジュリエット・グレコの短い序文が来ます「(...) 神を信じる力のあるおまえを羨む。私は愛する子に接吻するようにおまえに接吻を捧げる。おまえが存在することに感謝する」。そして最初の端書きにこんな文も:「この本の音楽はサム・クック A Change Is Gonna Come 」。小説の発表は2010年2月。文中でも「よその国では、今や黒人の大統領が世界に挑戦をいどむ時が来たのだ」とオバマ大統領誕生のポジティヴな興奮の余韻をまだ残している頃でした。それがその数ヶ月後にポジティヴさが無惨に色褪せてしまうことなど、誰が予想したでしょうか。私がこの小説を読んだのが2010年12月で、このオバマ評価がアブダル・マリックのポジティヴさにある種大きな意味があったことと、時代の空気が急変したことは、やや残酷なものがあります。  それはそれ。文学であろう、シテの言葉で綴ろう、セリーヌやジュネの赤裸々な表現であろう、という意図が見えるこの小説は、ペギーという奇妙な女名前をつけられた非行少年が、監獄暮らしを終えて出てきて、イスラム改宗してスーレイマンという名前になり、シテの中でポジティヴに人生を変えていくストーリーです。言わば実体験をベースにしたアブダル・マリックのフィクション化です。この中で話者はシテ(彼のベルラン語では「ラ・テス = La Tess」)の現実をこう喩えます:  
ラ・テス、それは巨大な原子力発電所のようなものだ。分別をもってそれを操作している時には、それは国全体を明るく照らせるほどの力がある。しかし、現実のように、それを放棄してしまったら、それは核爆弾となってしまうのだ。(p36)
   この核貯蔵庫のようなバンリューのシテで、そこに住んでいるというだけでなぜわれわれはすべてを閉ざされているのか、と自問します。次いであらゆる人たちにこの疑問をなげかけます。「俺の弁護士、牢屋の同室者たち、俺の母、俺の兄弟、シテの男たち、評判のよい女たち、評判の悪い女たち、教育者たち、地区選出議員たち、聖職者たち、神父たち、牧師たち、エホヴァの証人たち、説教師たち、イスラム導師たち...」(p38)。その末に信じがたい出会いを果たすのです。それはシテの中の「半月」(demi lune)と呼ばれる建物に、長年医院を営んでいた内科医が定年で退き、代わりに新しくその医院にやってきた若い白人医師トマ・ミニアールです。これがどれほど変種かというと、白人医師の分際でわざわざ悪評高いストラズブール郊外のシテで医院を営むという危険に自ら飛び込んだだけでなく、イスラム改宗者でもあったのです。  作者はトマ(改宗後の名前はシディ・アキル)の尋常ならぬ改宗の軌跡も、小説内小説として展開します。ストラズブール市内の何不自由ない教職員夫婦から生まれた二人の男児の次男坊であるトマは、少年時代に市内最強の少年サッカーチームのストライカーとして、地方選手権の決勝で4点のシュートを決め、チームのヒーローとなります。その決勝後、負けたチームの選手たちがトマを待ち伏せし、殴る蹴るの暴行を加え、その相手の少年たちの顔を見たトマはその日からレイシストとなって、黒人とアラブ人への復讐を誓い、サッカーを捨ててキックボクシングジムに通うようになるのです。  レイシズム(ラシスム racisme)とは何か? − 小説は辞書の形体をとって、アブダル・マリック版の用語定義をします。「ラシスム。男性名詞。1. 人間のグループ(あるいは「人種」)の間に階層順位=ヒエラルキーが存在するという確信から派生するイデオロギー、およびそのイデオロギーに鼓舞された行動/態度」(p61)。同様に作者は重要語として「シテ」とは何か、「イスラム」とは何か、も定義解説をしています。スーレイマンの野卑な口語表現の文章に混じって、明晰な定義が必要というところでは、がっちり固めてしまおう、という努力があります。そして人名解説も登場して、イスラム史を解説してしまわなければならない、という学術努力に至っては、どうしてこうやってセリーヌ/ジュネ的な小説の文体をぶちこわしにしてしまうのだろう、と残念に思うところがあります。  話がそれました。レイシストとなったトマに加えて、その兄ピエールがイスラムに改宗したと宣言して、教育者夫婦は大混乱してしまいます。ピエールは極端な遍歴があり、外人部隊に志願したかと思うと、インドに行ってヒンドゥー思想を学び、さらにフリー・メイソンに入団したのちに、こうしてイスラムに改宗したのですが、今度ばかりは志が長続きしている。つまりやっと掴んだ本物、ということなのでしょう。そのピエールにトマが感化されて、ついにトマもイスラム改宗となります。こうやって書くと、浮ついたブルジョワ家庭の「ババ・クール」志向のイスラム体験のように思われましょうが、このトマ「シディ・アキル」の魂遍歴がどうしてスーレイマンに大きなショックとなるのかを、小説はトマのミスティックな体験で説明しようとします。私にはよくわかりません。しかし生まれも育ちも極端に違う二人が、イスラム(ひいてはスーフィズム)を通じて魂の交感が可能だった、ということだけは伝わってきます。  神への道を進むことは、あいつにもできる、俺にもできる、だから「俺たち」にもできる、イエス・ウィ・キャン、という簡単な構図でこの小説をくくるわけにはいきません。しかしこの小説は、こうやって行けば、郊外(バンリュー)が俺たちの内側が変わっていくことによって、郊外戦争など起こるはずはないのだ、というひとつの確信に私たちを導こうとしているのは、とてもよくわかるのです。  トマとの出会いはいかに大きなショックであっても、この小説の終部では、そのトマともいつか疎遠になってしまったことも吐露されています。文学としてこの小説が中途半端なのは、私のような読者には、史的根拠や教条的な言説ではなく、もっとエモーショナルな伝え方があるのではないか、というフラストレーションを持たせてしまうことです。  逆のことを言うと、私たちはCDを通してアブダル・マリックの声とそのディクションを良く知っているがゆえに、これほど作者の肉声が聞こえてくるような小説もないのです。知らずとも、文字はアブダル・マリックの声で読まれている音を私の頭脳は聞いてしまっていて、それは強烈に響くのです。読んでしまったあとで、ああ、おまえの言うことはよくわからなくても、おまえとはとことん話しあった、というような親近感が救いです。 (↓2010年5月、アルザス地方のネットTVで「小説を書く」という行為を説明するアブダル・マリック)
Abd Al Malik : Du Slam à la littérature ...
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2010年12月4日土曜日

今朝の爺の窓 2010年12月4日



 5日前に同じような画像で紹介したばかりですが、今朝は雪です。午前の早い時間は細かい粉雪だったのに、11時頃からは湿り気の多いボタン雪に変わってきました。午後には雨になる予報で、気温がやや上昇してきた証拠です。ずっと零下の気温だった1週間でしたが、この週末から月曜日までは寒さが少し緩むとのことですが、火曜日からまた厳寒に逆戻りということです。
 雪を見ながら、何シーズンもスキーに行っていないなあ、などと雪山を恋しがったり。そんなことよりも原稿を早く終わらせないと...。

 ↓「今朝の爺の窓」動画篇。



PS 12月9日。
朝日を浴びるとこんな色。

2010年12月3日金曜日

ヨムの国 不思議な旅



 11月30日(火)、パリのカフェ・ド・ラ・ダンスで、「クレズマー・クラリネットの新王」ヨム君とその新しいバンド、ザ・ワンダー・ラバイス(The Wonder Rabbis 不思議のラビ導師たち)のコンサートでした。
 このバンドのアルバム"WITH LOVE"はこんな風なジャケで、クラリネットを持ったスーパーヒーローとなったヨム君が、黒い円筒形のラビ帽をかぶった3人の黒筋肉ファイターを連れて、日夜正義のために戦う、という図です。ただ、アルバムはまだ制作中で、来年の2月にリリース予定ですが、録音は済んだものの、まだ曲名も決まっていないものばかり、とヨム君が曲間のしゃべりで言ってました。
 これまでヨム君は2008年に『ニュー・キング・オブ・クレズマー・クラリネット』、2009年に『ウヌエ(はじめに)』という2枚のアルバムを発表していて、そのケレン味たっぷりの超絶技巧と、目立ち好きのショーマンシップと、他流試合好きな新奇趣味で,僭称した「新王」の地位を確固とした王位に近づけつつあります。チューバと打楽器とピアノとクラリネットという編成だった2008年から、イブラヒム・マルーフ(トランペット)、ワン・リ(口琴)、ビージャン・シェミラニ(ザルブ)などと一対一の二重奏(アルバム『ウヌエ』)を経て,2010年型のヨム君はフェンダー・ローズ(エレピ)、5弦エレキベース,ドラムス,という3人を従えて、ヨム流「サイケデリック・クレズマー」を展開します。
 ジャズ色はぐっと後退し(なにしろヨムのクラリネットを除いては誰もソロ・アドリブを取らない)、プログレッシヴ・ロック的にそのアトモスフィアを創りだすことに専念する3人、ザ・ワンダー・ラバイス。なぜこのバンド名がついたか、というヨム君の説明がふるっています。「3人に共通したものは何か? それは黒縁四角フレームの眼鏡!」。たしかにこの眼鏡だけで怪しげなジューイッシュ(別の言い方では「不思議なラビ」)ということに何の説明も必要ないでしょうに。コンセプトはヨム王と不思議なラビの3人が、孫悟空/猪八戒/沙悟浄を供に従えた三蔵法師の「西遊記」よろしく、中欧/東欧を探訪する「東遊記」というマジカル・ミステリー冒険絵巻なのです。いろんなキノコを食べながら道を進むので、おのずとサイケデリックになるわけですね。
 ヨム君のステージを見るのはこれが3回目ですが、見る度にこの人は本当はギタリストになりたかったのだ、ということが確信できるようになります。何を間違ってクラリネット奏者になったのか、という自問自答の果てに、華麗なるロックギターヒーローと見まがうケレン味を身につけたのでしょう。海老反りのクラリネットと70年代サイケデリック〜80年代ニューウエイブとも共通するエレクトリックなサポート隊。ディーヴォっぽかったり,キュアーっぽかったり、クリムゾンっぽかったり...。コンセルヴァトワールでクラリネットを勉強しながら,影でこんな音楽聞いていたのですね。
 アルバムが本当に楽しみです。わくわくです。


(↓まだ曲名もついていない曲を披露するヨム君)