2010年3月22日月曜日

ほね Horizon



Patrick Modiano "L'horizon"
パトリック・モディアノ『視界』


 んの数秒前に自分がやったことを覚えていないことがあります。私たちはものすごいスピードで記憶を失っていきます。1日にどれだけのことを忘れていくのか,と思うと気が遠くなります。それは完全に忘れてしまったのか,と思うと脳裏の奥の奥にしまわれたものが突然蘇ってきたりもします。それに比べれば,いくら思い出そうと努力してもついに蘇らないもののものがどれだけ多いでしょうか。古今の文学はこの忘却との闘いをテーマにします。プルーストの「失われた時」は紅茶にひたしたマドレーヌで蘇りますが,人は皆それぞれのマドレーヌを探して,過去にさかのぼることを夢見ます。ある人たちは「ブラックボックス」という言い方をしたりしますが,記憶はそんなメカニカルなものではないと思うのです。記憶は誤謬があります。現実の記憶なのか夢の記憶なのか判然としないもの,想像や意志によって改ざんされた思い込みの記憶,そういう曖昧なものを頼りにジグソーパズルを一片ずつ埋めていく,それがパトリック・モディアノのほとんどの小説です。この微睡みの中での手さぐりの作業に立ち会うのが,モディアノを読むということに他なりません。
 この小説の最初の部分で主人公ジャン・ボスマンスはその探しているものを天文学用語の「暗黒物質」(ダークマター)に例えます。それはウィキペディアの解説によると「宇宙にある星間物質のうち自力で光っていないか光を反射しないために光学的には観測できない、とされる仮説的物質のこと」であり,存在するかどうかも立証されていないものです。本当にあったことなのかどうかもわからない失われた過去です。それを,通りの名前,地下鉄駅,6ケタ時代の電話番号帳,姓名の一部しか覚えていない人名などを手がかりに,そこから喚起されるかすかな記憶を手帳に書き綴っていきます。その失われた過去の始まりはどこなのか,終わりはどこなのかもわからずに,時間軸に従うことなく,目の前に現われたヒントの順番に小説は進行します。読む者は揺さぶられます。それはいつのことなのか,Aという事件の記述は,Bという事件の前のものなのか後なのか,小説は作為的に混乱させているのではなく,書いている本人もわからないような筆致です。最初の混沌が一転二転するうちに,徐々に整理され,パズル片が少しずつ埋められていき,最後には大団円のある小説です(収拾のあるモディアノ小説はこの最新2-3作の傾向です)。
 主軸はジャン・ボスマンスという男とマルガレット・ル・コズという女の出会いと別れです。それは今から40年ほど前に起こり,ボスマンスはこの記憶を取り戻そうとするのですが,上に書いたように小説はすべて霧の中/まどろみの中です。その上,この二人の人物はその過去と背景がほとんど語られない,孤独でどこから来てどこに去っていくのかわからないのです。家も後ろ盾もありません。二人は68年のデモ隊と機動隊が衝突しているさなかに,地下鉄オペラ駅に居合わせて,地下鉄構内になだれ込んで来たデモ隊と機動隊のもみ合いに巻き込まれてマルガレットが負傷し,それをボスマンスが介抱してやる,という偶然の出会いをしています。「ル・コズ」というブルターニュ系の姓を持ちながら,ベルリンで生まれているマルガレットは,パートタイマーとしてドイツ語翻訳の仕事をするOLですが,この仕事を辞めて別の仕事をしたいと思っています。その前にはスイスで家庭教師,そのまた前にはアヌシーで,といった具合に一カ所に留まろうとしません。マルガレットにはある男に追われている,という恐怖がついて回り,その男に住所や職場を嗅ぎつかれたら,荷物をたたんでその町を出ていくということを繰り返しているわけです。マルガレットはその男「ボヤヴァル」の姿をあらゆるところで見るような強迫観念があり,どこにも落ち着けないのです。その男が一体何者なのか,小説は後半遅くまで明らかにしませんし,それまで見えざる恐怖として重くのしかかったままです。
 ボスマンスもまた,彼の母親と称する女とその連れ合いの男が,執拗にボスマンスの居場所を探し当てて,無理矢理ボスマンスの所持金を巻き上げていくという被害に何度も合っていて,パリの居場所を変えて,この二人を巻こうとしています。つまりボスマンスもマルガレットも同じようなストーカー犯罪の被害者であり,それを警察などに訴えても誰も聞く耳を持たないのです。何者かに追われて隠れて生きる男と女が,大都会の中で寄り添って生きるような奇妙な連帯関係ですが,それでも二人はお互いのことを詳しく話そうとはしないのです。このおおいなる人間不信がどこまで崩せるのか。二人はそれが崩せないまま,別れてしまうことになるわけです。
 小説の展開は,心を割って話せそうな人たちに出会っても絶対に用心を崩すことができない若い男女ふたりが繰り返す出会いと別れを繋ぎ合わせていくことによって,ボスマンスとは誰で,マルガレットとは誰であったかが,少しずつ見えてくるようになっています。
 パートタイマー派遣事務所の所長,パリ高級街の教授と弁護士の夫婦,医師でオカルト書の著者である男とその愛人,かつてストーカーであったボヤヴァル...登場する人々はすべてクセがあり,ミステリー小説を読む味わいがあります。
 この杳として,つかみどころがなく,読む者を宙づりにしておくモディアノ文体に調子良く酔っておりました。4分の3ぐらいまでは。偶然は,わけのわからぬまま,ボスマンスとマルガレットを引き裂きます。そのわけが少しだけでもわかるようになるには40年の歳月を要したわけです。しかし,この男ボスマンスが40年間探していたものが,われわれの21世紀はいとも簡単に見つけてしまったのです!「ボヤヴァル」とインターネット検索をかけたら,40年後にそのストーカーは目の前に現われたのです。さらに「マルガレット・ル・コズ」と検索をかけたら,これもまた出てきてしまったのです!
 モディアノともあろう者が,(*** 暴言につき筆者により削除 ***),こんなところでインターネット使うんですか?プルーストの失われた時は,インターネット検索で蘇ったりするんですか?私は猛烈に腹が立ちましたね。これはもう文学ではないべさ。なんて安直なんだ!過去の記憶を手探りで,しかも足を使って,かつあらゆる不確かな想像力を駆使して,やっとこさここまで来たのに,最後に収拾をつけるのが,これですか? 長年のモディアノ信奉をこの1冊でぶちこわしにされた気分です。

PATRICK MODIANO "L'HORIZON"
(Gallimard刊。2010年2月。175頁。16.50ユーロ)

 

2010年3月18日木曜日

サン・ローラン再び。

 パリのプチ・パレでイヴ・サン・ローラン回顧展が3月11日から始まりましたが、その週に総合文化批評誌テレラマのインターネット・サイトで、晩年のサン・ローランを撮ったドキュメンタリー映画の一部が公開されました。これは映像作家オリヴィエ・メイルーが1998年から2001年にかけてイヴ・サン・ローランを追った記録映画『セレブラシオン Célébration』なのですが、この映画は劇場でもテレビでも公開されていません。イヴ・サン・ローランのパートナーでありYSL社の経営者でもあったピエール・ベルジェが許可を出していないためだそうです。
 このテレラマ・サイトに公開されている断片と、監督オリヴィエ・メイルーのインタヴューを総合すると、肉体の限界までクリエーターとしての仕事を続けていたサン・ローランのこの頃の姿はほとんど抜け殻のようになっているにも関わらず,ピエール・ベルジェが影ですべてをコントロールして,なんとかこの抜け殻を立ち続けさせようとしていた、ということがわかります。
 ニューヨークで「ファッションアワード」(モード界のオスカー賞みたいなものです)を受賞したあと、ベルジェがそのトロフィーを取り上げて(重いから体の弱ったサン・ローランを助けようとしたのでしょうが)、先に立ってその場を立ち去ろうとすると、その後ろからよろよろついてくるサン・ローランに多くの人たちが寄ってきて賛辞を述べます。ベルジェはモロに顔から「本来ならば私がこの賞をもらうべきだろうに」という表情を出します。すごいシーンではないですか。



Dans le secret d’Yves Saint Laurent
envoyé par telerama. - Les dernières bandes annonces en ligne.

2010年3月8日月曜日

この時代に無経験中年女性が職を見つけるということ

Florence Aubenas "Le quai de Ouistreham"
フローランス・オブナ『ウィストレアム埠頭』


 ローランス・オブナ(1961 - )は2005年1月5日、リベラシオン紙の海外特派リポーターとしてイラクのファリュージャ市の難民事情を取材中に、イラク反政府派によって誘拐され、5ヶ月近く(157日間)人質として監禁されていました。この間、支援者団体によってこの女性の顔写真はメディアに大きく登場して、パリ市役所の正面壁面にも大ポートレートがかけられていました。6月に解放されて、記者会見でけらけら笑いながら監禁生活を語るこの女性ジャーナリストの姿は、美しく、強く、不屈でしかもユーモアにあふれた本物のヒロイン女性のように報道されました。その後は、フランス近年最大の冤罪事件であるウートロー裁判の追跡調査でも活躍し、リベラシオン紙を離れて現在はヌーヴェル・オプセルヴァトゥール誌の特約リポーターである一方、2009年7月からは、国際牢獄監視委員会(Observatoire International des prisons略称OIP)の代表にもなっています。
 つまりこの女性はフランスではたいへんな有名人であり、人質時代のオブナの顔写真はフランス人ならば誰でも覚えているはずのものなのです。その人物が本名「フローランス・オブナ」を名乗って、ノルマンディー地方に現れます。ただし、髪の毛をブロンドに染め、メガネをかけて。細工はそれだけです。たしかに身なりは「パリ左岸のジャーナリスト」然とはしていなかったでしょう。しかし、これだけで、有名人フローランス・オブナは無名人フローランス・オブナに変身することができたのです。
 設定は、50歳近い中年女性、子供はなし、20数年間一緒に暮らしていた男と別れ、自活するために職探しをしなければならなくなったが、職業経験はゼロ、学歴はバカロレア(大学入学資格。つまり高卒)のみ。この女性の名前はフローランス・オブナ。住所はノルマンディー、カルヴァドス県の県庁所在地カーン。この本は2009年2月から7月までの約6ヶ月間にわたる、ゼロから始めた職探しドキュメンタリーです。
 この種の潜入ドキュメンタリーは、アメリカで白人ジャーナリストが黒人になったり、ドイツ人ジャーナリストがトルコ人になったり、フランス人ジャーナリストが路上生活者になったり、と前例はたくさんありますが、フローランス・オブナはほとんど扮装もなく、何も知らず不安気な顔をして公立の職業案内所の扉を押したとたんに、即座に危機的状況にある女性になり切ることができたのです。
 手に職のない女性が即刻に働けるものは何か。数年までは、スーパーやファストフードのレジ係というのがステロタイプだったと思います。しかしこの本の背景には2009年1月に始まった「恐慌」があります。フランス語で"La crise"(ラ・クリーズ)と呼ばれるものです。企業/工場がドミノ式に軒並み倒産し、無数の失業者たちが路頭に迷うと言われていました。国庫はカラで、銀行にも金がない、と言われていました。「ラ・クリーズ」はその重苦しい不安感だけを先行させて、それを理由に雇用が極端に減らされていきました。そういう状況で、職安が職業初心者である中年女性に提案できたのは、派遣の清掃係という職種でした。清掃会社と時間契約をして、ビルや公共施設や列車船舶などの清掃のために送られていく人たちです。フルタイムなどありようがない仕事です。早朝、深夜、土日などが主な時間帯です。どんな時間でも断れません。断れば次の仕事がないからです。一社と契約しただけでは、1日に2時間ほどの労働にしかありつけず、数社と掛け持ちで契約して、空き時間をパズル式に埋めていって、やっと週十数時間の仕事が得られます。しかも、仕事場所は市内と郊外だけでなく、カルヴァドス県内全般に広がり、公共交通の手段を使って行けないところ、仕事場までの移動時間が仕事時間よりも多くなるような遠いところもあり、おまけに交通費自己負担だったりします。
 フローランスは清掃係としてデビューして、少しでも多くの仕事を取るように努力します。その途中で知り合っていく仲間たちから知恵を授かったり、助けられたり助けたり。みんな同じように多くの仕事を取るという目的を持った人たちです。過酷な労働状況で働く、未組織の女性たちは、それでも心の連帯があります。その仲間たちが、あそこだけはやめておけ、という仕事場があります。ペイも悪いし、絶対体が続かなくなる地獄だ、と言います。それがカーンの郊外にある、英仏海峡につながる運河の埠頭であるウィストレアムに着く、定期フェリー船です。フェリー船の船内清掃は、着岸して乗客が下船したあと、次の乗客が乗船するまでの短い時間にすべてをきれいにしておかなければなりません。このウィストレアム埠頭の仕事に初心者フローランスは挑んでいきます。
 日本もフランスもあらゆる世界で同じ傾向でしょうが、21世紀は富裕層がますます富裕になり、下層民がますます貧困化し、中間がどんどん下層化しています。フランスは世界で最も早く最低賃金保証を法制化した国のひとつです。私たちはつい数年前までこの最低賃金がこの国民を極貧化から救ってくれているものと思っていましたが、今や人並みの給料が法定の最低賃金になってしまっており、最低賃金に達しない給料で働いている人々はたいへんな数に昇ります。この時間の切り売りで働いている派遣の清掃員たちは、早朝/深夜/土日休日に働いているものの、どうあがいても最低賃金になど達しようがないのです。
 「ラ・クリーズ」は働けるだけでもありがたいと思え、という雇用者理屈を正当化する圧力になりました。断ったら次がない、不平を言ったら次がない、という恐怖心を被雇用者に植え付けます。軍隊のような管理体制、ゲシュタポのような現場監視係、脅し、ハラスメント、無給労働の強制...フローランスは内側からそれを見て、告発的にその実態をリポートしますが、この本の本筋はそれではなく、そこにいる女たちの生きている姿であり、そこにある心の通う連帯であり、生きるための知恵の数々なのです。本当に捨てたものではない、フランス深部の、革命や戦争を闘ってきた土地の(カーンは第二次大戦のノルマンディー作戦の舞台となった大被災地です)、なにかそういう歴史の中にまだ生きているような不屈の女たちが見えてくるような本なのです。書いたジャーナリストも体でその中にぶつかって行ったから、見えてきた真実であることは言うまでもありません。著者がこの体験とその中で出会った人々に文末で謝辞を捧げるように、読む私もこの中で出てきた人々に感謝したい気持ちになります。

FLORENCE AUBENAS "LE QUAI DE OUISTREHAM"
(Editions de l'Oliver刊 2010年2月。275頁。19ユーロ)


(↓自著『ウィストレアム埠頭』を語るフローランス・オブナ)


(↓)2021年、エマニュエル・カレール監督(主演ジュリエット・ビノッシュ)で映画化された『ウィストレアム埠頭』の予告編

2010年3月3日水曜日

目もあてられーぬ,ミレーヌ Jamais deux sans trois

 3月2日(火曜日)、フランスを公式訪問しているロシア大統領ディミトリ・メドヴェデフを、サルコジがエリゼ宮(大統領府)での夕食に招待。その際,ロシアで大変人気のあるフランスのスターで華を添えようと、それまでだったらパトリシア・カースと決まっていた席に(パトリシア・カースの時代は本当に終わってしまったのでしょう)、サルコジはミレーヌ・ファルメールを指名。ロングドレスで颯爽とエリゼ宮に到着したミレーヌ様は、赤絨毯を踏んで入場する階段で,一度,二度,三度と躓いてしまいました。この映像がまたたく間にインターネット上で,世界中に伝播してしまうわけですね。これがパトリシア・カースだったら,こういう現象になるでありましょうか。


Mylène Farmer chute devant l'Elysée
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PS (3月4日)
今日のAFP短信によると、この時ミレーヌ・ファルメールは足の指を骨折したのだそうです。しかし、国賓との夕食なので、痛みを隠して,そのまま出席して、ずっと引きつった笑顔で対応していたそうです。可哀想なミレーヌ様...。

PS 2 (3月8日)

4月12日に発売予定の昨年スタッド・ド・フランスでのコンサートのDVD/ブルーレイの予告編です。これ見ると This is it と思わせる魔力がこの人にはまだまだあるみたいです。それにしてもファンたちはよく泣きますね(この人のライヴ映像につきものですけど)。