2009年10月20日火曜日

サム・カルピエニアとアペロを共にする

 先週のスチュディオ・ド・レルミタージュのコンサートに続いて、今週も国営ラジオの番組の収録のためにパリにやってきたサム・カルピエニアと、メニルモンタンのカフェでアペリティフを一緒に飲みました。ちゃんと話したのはこれが初めてですが、私は構えてインタヴューのつもりで来たわけではないので、雑談の域での会話でした。とは言っても引合いに出される書名や人名が知らない人が多く,それ誰ですか?と聞き返さなければならないことしきりで,結構肩がこりましたが,インテリっぽく突き放すのではなく,ちゃんと説明してくれるから(それでも理解できない爺の聞き下手)助かりました。  私から「パリのコンサートでは誰も踊ってなかったけれど,気にならなかったか?」という一種の愚問。一瞬サムが口をゆがめます。オーディエンスの反応は土地土地で異なるけれど,サムはステージの上から「みんな踊れ」と煽ることなどないし,マルセイユでだって会場がダンスフロア化することなどめったにないそうです。そう,これは私のマルセイユに対する偏見。最近収録したラジオ番組でも,番組主の女性(イザベル・ドルダン)が開口一番「やあ,マルセイユは燃えちゃってるかな?」みたいな,マルセイユだとみんな狂って踊るのが普通というステロタイプ化があって,マルセイユでスピリチュアルな音楽やったら悪いんか?と突っ込みたくなったそう。誰もがマッシリアと同じことをしているわけではありません。そりゃそうでしょう。サムの音楽をCDで聞けば,体がびくびく動くこともあれば,椅子に釘付けになって動かなくなる瞬間もあります。  私は「ダンソ、ダンソ(踊ろ,踊ろ)」ではないオクシタニア音楽というのを,ジョアン・フランセス・ティスネで体験していて,そのコンサートはみんな椅子に座って静粛に聞いてましたし。そのティスネも実験音楽出身なのでした。サム・カルピエニアは若い頃はロックバンドをやっていたのですが,ある日,英米ポップ音楽の影響を一切絶った実験音楽に没入していきます。ジョン・ケージ,スティーヴ・ライヒ...。一分未満の音楽ばかり作っていたそうです。それはオック語との出会いの時でもあって,オック語を習得することによって思考や価値観の精神革命をしていたわけですね。  「俺は無神論者ではないし,精神的なものを崇拝している。時には俺はブッディストでもムスリムでもある」なんて言ってましたが,コーラン読んだことあるの?と聞いたら,それはないし,豚だって食べるよ,と言います。すべてはメンタルな世界なんだなあ,サム君は。  神秘なるもの,聖なるものに惹かれる性向があり,日本の音楽では雅楽と声明をよく聞くと言います。「これは聖なる音楽だろ? 宮廷で演ぜられる音楽だろ?」と聞いてきて,その背後にある仏教/神道の思想について尋ねられたのですが,爺はわかりませんから答えません。  「トルバドールだって宮廷の音楽だったんだ」と,その世界に入って行きます。一般に大衆歌謡のように思われているようなところがあるが,トルバドールの最高位は宮廷の聖なる詩と音楽であった,と。サムが興味あるのはこの言わば「上級の」トルバドールの世界で,オクシタニアだけではなく当時の欧州各地の王宮でこの音楽が人気を博した原因の第一は「アムール・クルトワ(献身の愛)」であるという話になります。  「トルバドールにとって最も崇高で聖なるものは何かしっているかい? - それは女性なんだ。これは当時の政治権力からも宗教権力からも非常に都合の悪いものだったんだ」と続きます。トルバドール,オック語,カタリ派が歴史から消されていく課程で,その禁止の第一理由が「女性崇拝」であるというサム君の説,好きですねえ。女性が崇拝賛美されていた12世紀のオクシタニアは,たぶん夢のような国であったから滅ぼされたのですねえ。女性が神よりも崇められていた,これは危険思想になってしまったんですね。私は今も奥様を神よりも崇めているから,警察から目をつけられるのですね。  サム・カルピエニアはオクシタニアの生まれではありません。ノルマンディー生まれです。オクシタニア文化に傾倒する人はオクシタニア生れでない人がかなりいます。マッシリアのタトゥーもパリ圏生れですし,ル・クワール・デ・ラ・プラーノのマニュ・テロンも北フランス出身ですし,ラ・タルヴェーロのダニエル・ロッドーはイタリア/サルデーニャ島系ですし...。オクシタニアは人種でも血のつながりでもありません。  「シークエンサーとの出会いがデュパン結成のきっかけだった」と言います。とりたててトラッドをやろうというつもりなどまるでなくて,フォス・シュル・メールの巨大製鉄所の,インダストリアルでプロレタリアでプロヴァンサルなアトモスフィアを表現したら"L'Usina"(2000年)というアルバムになった,と淡々と語ります。ヴィエル・ア・ルー(ハーディー・ガーディー)も,シークエンサーがなければ使わなかったろう,と。エレクトロ・エクペリメンタルから出て来た人だもの。そしてそれをやっていく課程で,すなわちムーヴメント(運動)のさなかで,いろいろと変わっていくのですよ。自分は常に生成過程にある,ということです。  ぼそっと「デュパンは "L'Usina"がすべてだった」と言いました。2枚目/3枚目ありましたが,デュパンはファーストアルバムを越えられなかったんだと思います。この点にはあまり後悔していないようでした。  イランのパーカッショニスト,ビージャン・シェラミニとのデュオのプロジェクトが進行中で,ひょっとするとマニュ・テロンとガシャ・エンペガをもう一度組むかもしれないし,ひとつところに留まることが嫌いなサムは,同時進行で八面六臂の活動をするのが好きなのだそうです。欲張りな38歳でした。

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