2008年1月14日月曜日

時計じかけの心臓(小説)


マチアス・マルジウ『時計じかけの心臓』
Mathias Malzieu "La Mécanique du Coeur"

 売れているというのは聞いていました。FNACの書籍/文学書コーナーで売上6位だそうです。今日フランスで最もクリエーティヴなロックバンド、ディオニゾスのリーダー/ヴォーカリスト/作詞作曲のマチアス・マルジウの3冊めの著作で、180頁の中編小説です。簡単に読めます。爺のフランス語力でも4時間で読めました。ポップのフィールドの人が書いたものだから,というわけではありません。これは夢の起爆力だけで書き続けたような,早読みを余儀なくされるようなリズムで展開するからです。
 19世紀後半,スコットランド,エディンバラ,その一番寒い日にリトル・ジャックは生まれますが,あまりに寒いため生まれたとき心臓が凍りついていました。取り上げた女医師マドレーヌは,この子の命を救うためにカッコウ時計を胸に取り付け,リトル・ジャックの心臓はチックタックチックタックチックタックチックタック音を立てて動くようになります。この女医はエジンバラのアーサーズ・シートという丘の上に住み,住民から魔女と呼ばれながら,娼婦や貧乏人の私生児を取り上げたり,奇怪な外科手術をすることで知られた,心優しいマッド・サイエンティストで,子供のいないマドレーヌは私生児リトル・ジャックを我が子のように育てます。彼女の常連患者には元警官のアル中乞食のアーサー(だめになった脊柱の代わりに女医マドレーヌは鉄琴を移植し,それ以来デキシー曲「聖者の行進」が体から離れない),娼婦のアンナとルナ(ふたりは幼いリトル・ジャックに「クンニリングス」という言葉をローマ皇帝の名前のように覚えさせ,この言葉を好きになった少年はもらったハムスターにクンニリングスと名付けます)がいて,このフリークス的な環境の中で,リトル・ジャックは幸せに育ちます。
 少年の10歳の誕生日に,初めてアーサーズ・シートの丘から降りてエディンバラの町を訪れたリトル・ジャックは,目がよく見えずあちこちにぶつかってばかりいる可憐なフラメンコ少女歌手ミス・アカシアのステージを見て,これまで体験したことのない心臓の高鳴りを覚えます。チクタクのリズムが早くなり,カッコウ鳥が興奮して鳴き続け,時計システムが高熱で赤くなります。女医マドレーヌはこの変調は致命的な危機になる可能性があると察知して,リトル・ジャックに恋はおまえの命取りになると,さまざまな禁止事項を押し付けます。しかし禁止されたら,ますます燃える恋心...。
 世界をもっと知りたいと学校に行くようになった少年は,そのチックタック鳴り続ける胸のためにみんなから苛められます。その苛めの先頭に立つガキ大将がジョーは,リトル・ジャックがミス・アカシアを探し求めて学校にやってきたことを知った時から徹底的に少年を痛めつけるようになります。ジョーも少女歌手に恋をしていたからです。しかし少年が学校に入った時はミス・アカシアは故国アンダルシアに帰ってしまったあとでした。4年間のイジメ地獄の学校生活の最後の日,ジョーの執拗な挑発に我慢のならなくなったリトル・ジャックは,大乱闘の末,胸の時計の針でジョーの片目をつぶしてしまいます。
 この刃傷沙汰に町は騒然となり,アーサーズ・シートの丘から女医マドレーヌはリトル・ジャックを逃亡の旅に出させます。マドレーヌは少年に「病気になったり調子が悪くなったりしたら,医者ではなく時計屋に診てもらいなさい」と言いつけます。少年は汽車に乗り,南へ南へと向かいます。(ロンドンに向かう汽車の中でリトル・ジャックは"切り裂きジャック"に遭遇します)。海峡を渡ってパリに着いたリトル・ジャックは変調を覚え,時計屋を探しますが,時計屋たちは少年の心臓にまったく手出しが出来ず,ただひとり,恋に破れたロマンティスト手品師がその器用な手先でリトル・ジャックの心臓を調節してくれます。この手品師ジョルジュ・メリエスは後年に世界初の活動写真を発明することになりますが,医師マドレーヌに似たマッド・サイエンティストでもあり,恋人のために月世界旅行の機械を作ろうとして,果たせずに失恋しています。そしてこのイカサマ手品師は,リトル・ジャックのミス・アカシア探しのストーリーに心打たれ,二人は一緒にアンダルシアまでの旅に出ることになります。ゴー・ウェスト。ここから小説はウェスタン的でドン・キホーテ的なロード・ムーヴィーのようになります。西遊記的でもありましょうか。

 はたして二人はアンダルシア,グラナダまで辿りつき,リトル・ジャックは夢にまで見たミス・アカシアに会うことができたのですが....。

 モンスターやフリークスや見世物小屋などが出てくる19世紀末のファンタジー物語で,ティム・バートン映画やピノキオ物語風でもある,白黒画面ストーリーです。フランスのポップ/ロック界のアンファン・テリブルであり,ピーター・パンでもあるマチアス・マルジウが,奔放な想像力を用いて,目の前にいるひとりの女性,オリヴィア・ルイーズ(マルジウの実生活での伴侶)からインスパイアされたラヴ・ストーリーを書き上げました。少年少女・冒険・怪奇・空想科学・悪漢・恋愛・心理小説とも言える盛り沢山さで,本の発売時期(2007年10月刊行)からもこれはクリスマス向けと納得できる内容です。
 リタ・ミツコが歌ったように Les histoires d'amour finissent mal en général 恋物語は通常結末は悪いことになっています。この物語も最後にリトル・ジャックとミス・アカシアは結ばれません。小説の中盤ぐらいからその兆候はあり,リトル・ジャックとミス・アカシアはとても親密な関係になるのに,リトル・ジャックは自分の時計仕掛けの心臓が破裂することを最後の最後のところで恐れているし,ミス・アカシアはその時計仕掛けの心臓がからくりであって本物の心臓ではないと確信しているのです。少年はこの時計の針が折れて仕掛け機械が動かなくなったら,自分は死んでしまうと信じ込んでいる。ところが少女はそんなものまやかしであると見抜いている。少年はこれが100%の恋だと思っているのに,少女は70%までしか感じることができない。その限界を越えるには,少年は自分の時計仕掛けを壊してしまうしかない。もしもそれが恋の証しだとしたら,少年は自分の心臓を破壊するしかない,死ぬしかないと思っているのですが....。
 リトル・ジャックはそうやって一旦死んでしまい,ミス・アカシアは死んだリトル・ジャックに永遠の恋人の姿を見るわけですね。ところが,リトル・ジャックは長い眠りから覚めて生き返るのです。ミス・アカシアが見抜いていた通り,時計仕掛けは心臓ではなく,弱って生まれた子に生命を暗示させるために医師マドレーヌが取り付けた飾りにすぎなかったのです。これがそのままピーターパンのメタファーなのですね。つまり時計仕掛けで動いていれば永遠の子供でいられたのです。大人になること,それは時計を破壊することなのです。----- こうやって説明する必要なんかないんですが,爺が書いている以上にこの小説の後半がやたらと説明的なのが,ちょっと興ざめです。
 そして,結末をばらしてしまうと,ミス・アカシアは生き返って大人になってしまったジャック(リトルじゃなくなってしまった)など,何の興味もないのです。ロジック!

 ポップな小説として読むことができましょうが,ピーターパン顔をしたマルジウの無彩色の夢の数々はたいへんな魅力に富んでいます。黒く残酷なのも少年期ですし,怪奇にわくわくするのも少年期です。爺は十分に魅了されました。この小説のサウンドトラック盤よりも,小説の方がずっと説得力あります。

Mathias Malzieu "La Mécanique du Coeur" (Flammarion刊。2007年10月。180頁。17ユーロ)


PS
下にリンク貼付けたのは,マチアス・マルジウ自身の朗読による『時計じかけの心臓』の最初部「いちばん寒い日」と,ディオニゾスのライヴ演奏による「いちばん寒い日」の映像です。
Le jour le plus froid du monde (Inrockes Session 13)

1 件のコメント:

koukoutake さんのコメント...

Castorさん、はじめまして。koukoutakeと申します。

最近になってオリビィア・ルイーズのからみで、Mathias Malzieuについて知りました。
この小説も興味はあったのですが、フランス語では読めなかったので、こちらで詳しく紹介されていて大変参考になりました。アルバムの方は聴いていたので、後になってそうだったのかと納得しています。
自分のブログに、この小説とアルバムの記事を書いたのですが、Castorさんの記事をリンクさせていただきました。(もし、差し支えあれば削除します)

Castorさんの記事がなければ、自分では何も書けなかったので大変感謝しております。
ありがとうございました。

フランスの音楽に興味があるので、また時々拝見させてもらいます。
よろしくお願いいたします。